2011年6月6日月曜日

高木誠一蔵書


「いわき学」の先達の一人、高木誠一(1887~1955年)の家がいわき市平北神谷にある。無住のために借り手を探している。

土蔵の2階に高木の蔵書が眠る。家を管理している孫たちには、使い道のない資料だという。めぼしいものはすでに流出した。「何か役に立つものがあれば持って行っていいですから」。近所に住むいわき地域学會の会員に声がかかった。

3月末に予定されていた調査が、「東日本大震災」の影響で延期になり、先日、2カ月遅れでようやく実施された。地域学會の有志数人が参加した=写真

高木は柳田國男の門人で、民俗学が産声を上げたころからのフィールドワーカーだ。家業の農業についても研究・改良を重ねた篤農家として知られる。請われて村助役も務めた。実業、学問、村政と、多面・多層的に村づくりに尽力した。

大正~昭和時代には宮沢賢治や高木誠一、三野混沌(吉野義也)といった、農の営みを生き方の基本に据えた人間が輩出している。後世の人間から見ると、興味が尽きない時代だ。

高木は明治末期に柳田に出会い、新渡戸稲造らが結成した「郷土会」に参加し、柳田らが編集する月刊雑誌「郷土研究」に次々と調査報告文を発表した。大正時代に、すでに民俗学者としての実績を残している。

彼がどんな本や雑誌を読んでいたのか。「大正ロマン・昭和モダン」の視点で、ほこりをかぶり、黴臭い資料を1点1点手に取る。

結果として、中央報徳会発行の月刊誌「斯民(しみん)」、東京人類學會発行の「人類學雑誌」、帝國農會発行の「「帝國農會報」といった大正時代の雑誌のほか、昭和初期の雑誌・単行本、合わせて15冊ほどを“救出”した。

ほかの仲間は、それぞれの研究テーマに沿って地元北神谷の古文書を、雑誌を“救出”したようだ。

内郷に家があるという高木の孫の女性(もうかなりの高齢だ)を車で送って行った。その車中でのことば。「祖父もこれで喜んでいることでしょう」。高木の民俗学的研究成果を引き継ぎ、発展させるのが、わが地域学會の使命であることを、あらためて感じた。

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