2011年6月8日水曜日

壊れる「関係」


わが家の隣はアパートとコインランドリーの駐車場。庭の生け垣越しに車の排気ガスも、人語も飛び込んでくる。

ある朝、茶の間にいると、生け垣のそばで人が話を始めた。ケータイがかかってきたのだろう。声がもろに聞こえる。人っ子ひとりいない原っぱでしゃべっているようなあんばいだ。「●〇は××、■□は××、▲△は××に避難しました。てんでんばらばらですよ」。双葉郡から避難して来た人らしく、ケータイの相手に兄弟や親類の避難先を告げていた。

別の日。知り合いの家に行くと、娘さんがいない。他県へ避難したのだという。なぜ、また今?

あと数日で「3・11」から3カ月になる。本来なら家族が向き合い、助け合いながら、復旧・復興への道を歩み始めるときだ。が、いわきではどうもその道筋がみえてこない。かえって、原発事故のために家族関係が壊れかかっている――そんな印象を受ける。もっとも、子どもの住まいに合流して独り暮らしを解消した女性も、近所にはいるが。

夫は職場のあるいわきを離れられない。妻はしかたなく、娘を連れて東京へ避難した。そうした逃げ場のない夫婦は、小さい子どもをはさんで口論を繰り返す。夫婦の関係、親子の関係が尋常ではなくなっている。祖父母と孫たちの交流も寸断された。それが、子どもたちをめぐる「フクシマの今」の姿ではなかろうか。

手帳にはさんだ孫の写真を見てはため息をつく。娘と、孫と離ればなれになった知人の話を聞いては、ことばに詰まる。

ときにいがみ合い、ののしりあいながらも、家族が向き合っていた3月11日午後2時46分以前の日常がなつかしい。恋しい。平々凡々の「無事な日々」がかけがえのないものに思える。

「世の中を憂(う)しと恥(やさ)しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」(山上憶良)。白水阿弥陀堂の池の岩頭から飛び立つアオサギの写真でも見てください。

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