2011年6月30日木曜日

事業懇談会


先週末(6月25日)の午後、いわき市立草野心平記念文学館で「事業懇談会」が開かれた。任期2年で、委員に再任された。粟津則雄館長から委嘱状を受けた。

「3・11」と、それに伴う「原発事故」。いわきは一部、原発から30キロ圏内に入っている。「ホットスポット」がその圏内の山間部に点在し、さらに専門家のデータではいわき市南部でも山間部を中心に、1マイクロシーベルト/時を超えるところがある。

そうしたなかでの、懇談会だ。委員の「自己紹介」と意見が、文学館のこれからの事業の下敷きになってほしい、事業計画が固まった今年度はともかく、来年度以降にその意見を反映してほしい――そう思った。

通り一遍の自己紹介ですむはずがなかった。「3・11」以後の生活の激変、価値観・人生観・世界観の激変、原発事故による仕事と暮らしの激変……。どうしても、それを語らないと、「自己紹介」にならないのだった。

私の隣に座ったのは、川内村教育委員会の教育課長兼公民館長氏だった。旧知の教育長の直接の部下だろう。いわき地域学會が『川内村史』を手がけ、私もその一員として調査と執筆に加わった。そのときの、村役場の担当が今の教育長だ。

モリアオガエルが取り持つ縁である。山をはさんで、草野心平記念文学館(いわき)と草野心平記念館(川内)が向かい合っている。川内村のそれは、去年、天山文庫とその下の阿武隈民芸館=写真=を含めて、記念館として再出発した。

一人ひとりが「3・11」以後の困難を生きている。委員も、事務局の職員も。

なかでも川内村は、役場機能がすでに郡山市に移っている。実体としての川内村は空にして虚ろ、だ。人が避難しているのだから、村としての内実はすでに失われている。公民館長氏もふだんは郡山市に、家族はいわき市にと、二重生活を余儀なくされている。

が、「心」までは避難できない。川内村にとどまっている。村民が、家族がバラバラになりながらも、モリアオガエルの村に「心」は立っている。――そのことを、同じ「阿武隈山人」として痛いほど分かるのだった。早く緊急時避難準備区域が解除されるのを祈るのみである

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