カミサンがいわき市暮らしの伝承郷へ行くというので「アッシー君」をした。伝承郷の事務室で、伝承郷がOKならそのまま寄贈する、というモノを見た=写真。なんだこれは、「乃木バー」に関係するものではないか。あわてて車へ戻り、カメラをとりだして写真を撮った。
3・11から1カ月後の4・11に、いわき市の内陸部を直下型地震が襲った。そのとき被災した内郷の知人の家から、ダンシャリで出てきた横断幕だ。木綿の紺地に赤く「のし昆布」と思われるものが描かれ、「せ里ざわ自動車店ゟ(より) 乃木左(さ)ん江」という文字が書きこまれている。
「乃木」は先日(4月14日付小欄)紹介した大正時代創業の「乃木バー」、「せ里ざわ自動車店」は昭和初期、いわきで乗合バスを走らせていたバス会社だ。
いわき総合図書館から『常磐交通三十年のあゆみ』(昭和48=1973年刊)を借りてチェックした。昭和初期に乱立したバス会社は段階的に整理・統合され、太平洋戦争さなかの昭和18(1943)年師走、常磐交通(現・新常磐交通)に一本化される。統合される一つに「合資会社 芹沢自動車」があった。
「芹沢自動車」は昭和3(1928)年に創業した。平市字三町目に本店があった。西洋料理を看板にする「乃木バー」とは同じ町内だ。統合時には自動車(バス)4台を所有し、「平―上小川」「上平(うわだいら)―小川郷駅前」「上小川―高崎」の3路線で営業をしていた。要は、小川町をエリアにしたバス会社だった。
「乃木バー」は、大正10(1921)年にはすでに開業していた。その年の通い帳がある。横断幕は「乃木バー」への、なんらかの祝儀にはちがいない。「芹沢自動車」の創業年のあと、たとえば「乃木バー」の<開店10周年>を記念して贈り、店内の壁にでも張ってもらったものか。
横断幕から、「乃木バー」は昭和3年以降も地域社会に受け入れられていたのだ、ということがわかる。いわきの「大正ロマン」と「昭和モダン」の実態がまた一つ、みえてきた。
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