わが家から夏井川渓谷の無量庵へと出かける道沿いに梨畑が何カ所かある。そのうちのひとつ、徒長枝まで花が咲いた、梨畑ではなくなったのか――ということを書いたのが5月の初め。次に無量庵へ出かけたとき、ざっと2週間後だが、徒長枝はそのままながら梨の木の幹が消えていた=写真。やはり梨畑ではなくなっていたのだ。
車を運転しながら、ちらりと見て“異変”に気づいただけだから、それが梨畑再生のための準備なのか、やめた後始末なのかはわからない。いずれにしても17年間、その梨畑を視野におさめて往来してきた人間には劇的な変化だった。
詩人の田村隆一の影響か、「梨の木」には詩的なイメージをいだいてしまう。「梨の木が裂けた」という1行にとらわれているのだろう。詩のタイトルはとっくに忘れたが、その言葉だけは40年あまりたった今も頭の中に浮遊している。
田村隆一自身も梨の木にはこだわっていたのではないか。亡くなる直前の詩集『1999』の冒頭が<梨の木>だ。
第一連「第一次世界大戦後/新潟小千谷の超自然主義者が呟いた/『梨の木が曲がりくねっている』」。超自然主義者は西脇順三郎。第二連「第二次世界大戦後/痩せた青年が叫んだ/『梨の木が裂けた』」。青年はむろん田村隆一。
<十三秒間隔の光り>という詩では、「新しい家のちいさな土に/また梨の木を植えた/朝 水をやるのがぼくの仕事である/せめて梨の木の内部に/死を育てたいのだ」と書く。
梨の木の幹は根元とワイヤを張った棚の2カ所で切り取られた。残っているのは支柱とワイヤの棚にからまった徒長枝。行きずりのドライバーとしては再生を祈るのみだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿