「今、どこにいる」「会津です」。磐梯山=写真=が思い浮かぶ。家族は?関東圏に。バラバラか。学校の陸上競技部の後輩と偶然、いわきで再会した。
後輩は大熊町の職員だ。町の復旧・復興をどうするか。会議が始まる、あるいは答申がなされる――そういった節目のときにテレビカメラが入る。この1年余、夕方のローカルニュースでたまに映る後輩の姿を見て、茶の間からエールを送ってきた。
日曜日(5月13日)朝、いわき市立美術館で開かれている「宮沢賢治展」を見ようと、美術館の駐車場に車を入れたら、環境省の腕章をつけた人から声がかかった。「大熊町の人ですか」「いや、美術館に来たんだけど」。車を止めたあと、少し彼の話を聴いた。大熊町民を対象に、目の前の市文化センターで説明会が開かれるのだという。
前日、大熊町民を対象にした政府主催の説明会が郡山市で開かれた。細野環境相が出席し、政府が中間貯蔵施設の建設などについて説明した。翌日曜日は、いわき市と会津若松市でも――というわけだ。
もしかして後輩がいわきに来ていないか。美術館へ行く前に文化センターへ入り、ロビーから会場の大ホール入り口付近を探ったら、人垣の奥にいた。
黙って近づく。目と目が合う。ほんとはハグしたいのだが、それはできない。左手で背中をたたくと、彼も右手で応えた。手短に情報を交換して別れた。その一部が冒頭のやりとりだった。
大熊町と双葉町にまたがって福島第一原発がある。3・11直後、役場の職員はそれこそ「不眠不休」で非常事態に対処せざるを得なかっただろう。その内実は今も変わっていまい。作業服姿がそのことを物語る。
国・県・市町村の対応の遅さに被災・避難住民は腹を立てている。不信感さえ抱いている。基礎自治体である市町村の職員は住民に罵声を浴びせられても、住民と向き合い、話し合わないといけない。自分たちも同じ被災者だが、公務員ゆえに町と町民の現在と未来に責任を負わないといけない。その意味では忍耐・忍従の1年余だったろう。
後輩と酒を酌み交わしたのはいつだったか。正月3が日の休みに行われる陸上部のOB会での席だったが、だいぶ前のことだ。年賀状も今年は来なかった。「孫のことを書いてましたね」。わがブログを読んでくれているようだ。よし、なにもできないけどいわきの地から応援の念力を送り続けるぞ――と決めた。
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