2012年5月26日土曜日

宮沢賢治展


いわき市立美術館で「宮沢賢治・詩と絵の宇宙――理想郷イーハトーブを夢みて」展が開かれている。6月17日まで。ついつい図録=写真=を買ってしまった。絵本作家や画家が賢治ワールドに挑んだアンソロジーだ。

20歳前後から賢治にとりつかれ、「雨ニモマケズ」に共感と反発を抱き続けてきた。反発しながらも、賢治を“卒業“できない。「雨ニモマケズ」は自分の生き方を考えるときに、真っ先にわきにおきたいフレーズだった。<「ジブンヲカンジョウニ入レズニ>生きられるのか。生きられない、と。

それよりもっと反発したのは、<農民芸術概論・序論>にある「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」。いよいよダメだな、オレは賢治についていけないな。

賢治の全集を二回買った。『校本宮沢賢治全集』がそろったときに、古い全集を友人の娘にプレゼントした。中学生になるかならないかだったか。娘は大学と大学院で賢治をテーマにした。

で、今度は『校本宮沢賢治全集』だ。息子・娘の世代は父・母になった。つまり、その次の世代、孫たちに賢治を伝えよう。今年中学生になった疑似孫がいる。小学5年か6年生のときに全集の1冊をあげた。読みこなしているようだ。

賢治について書かれた評論・エッセーなどのたぐいも手元にかなりある。“卒業“ではなく、“バトンタッチ“をしたい。少しずつ疑似孫にあげよう――と思っていたときに、東日本大震災がおきた。原発が事故を起こした。

世界がガラリと変わった。賢治の言葉が理想ではなく、現実になった。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」。私は時折、この言葉を思い出しながら、非常な1年を過ごした。

「雨ニモマケズ」は、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」からきているのだろう。病の床に就いた賢治の、死への自覚がもたらした「雨ニモマケズ」の根源に、圧倒的な死をもたらした大災害を経験してやっと触れ得た、という思いがする。

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