年末には早くも半透明の薄皮に包まれていた庭のスイセンのつぼみだったが、その後、寒暖の変動が大きかったために、そのままの状態で1カ月が過ぎた。最近ようやくつぼみがふくらんで、外側の薄皮がはがれた=写真。
3日は節分、4日は立春――2月に入ってすぐ、年1回発行のいわきの総合雑誌の編集・校正に区切りがついた。立春には頭を切り替えて4月からの別の仕事の準備に入れる。そう思っていたところへ、「びっくりぽん」がふたつ飛び込んできた。フォト雑誌が大変な誤報をしたという。プロ野球の元スター選手が覚せい剤に手を出して逮捕されたという。ネットで知った。
元スター選手については自業自得としかいいようがない。が、フォト雑誌の誤報は「よくあること」と片付けるわけにはいかない。その後、ネットに公表された「お詫びと訂正」「間違いが生じた経過のご報告とお詫び」を読んで、「しろうとのコピペと同じではないか。汗もかかなければ、裏も取らない」。田舎の小さな新聞社に身をおいてきた人間として、怒りとむなしさがわいてきた。
外国人写真家が双葉郡に入って取材し、自分のホームページに記事を載せた。それをフォト雑誌の編集者が見つけて連絡をとった。「写真のキャプションを」「そちらでホームページを参照して書いてくれ」となって、締め切りがギリギリだったことも手伝い、「人々が乗り捨てて逃げた車」(震災前からの廃車置き場の車だった)「福島県双葉町」(富岡町の間違い)に仕立てた。
「このいい加減な記事は反原発の足を引っ張っている。現状を見て真面目に反原発をやっている人にとってはとても迷惑だ」。若い知人がネットで発信して誤報がわかった。雑誌が発売になったころ、ネットでそれを紹介する人もいた。誤報を拡散しながら、庶民の反原発の思いに泥を塗る――二重の意味でフォト雑誌は読者を、福島の人間を裏切った。
地域の自然や暮らし、住む人の思いといった「個別・具体」とは無縁の、粗い福島認識。外国人写真家だってちょこっと双葉郡に入って「空中戦」をやっただけではないか。現場はいつも「地上戦」だよ――そんな思いが交錯する。
車を運転するときに留意しなければならないことは、「(飛び出さない)だろう運転」ではなく、「(飛び出す)かもしれない運転」だと、よくいわれる。「情報」についても同じことが言える。「(正しい情報)だろう編集」ではなく「(間違った情報)かもしれない編集」がなぜできなかったのか。
おととい(2月2日)、きのうと、フォト雑誌と元プロ野球選手のことで頭がいっぱいになった。日が暮れると、カミサンが「節分だよ、豆(代わりのピーナッツ)をまいて」という。そんな気分にはなれないので「やりたくない」とごねたが……。
「ピーナッツをまくマネだけでもいいから」となって、玄関の戸を開け、今年の「あきの方」(恵方)の南南東に向かって小さな声で「福は内、鬼は外」をやる。「エア豆まき」だ。台所、店、2階とエア豆をまいて、すぐ晩酌を始めた。
立春の今朝はどんなものかと庭のスイセンを見たが、まだつぼみのままだった。ジンチョウゲも小花の先が白くなりかけたものがあるが、開花まではもう少し時間がかかりそうだ。花でも見ていないと、胸にたまった泥が落とせない。
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