家の向かいの奥に義伯父(故人)の家がある。裏は三面舗装、幅2メートルほどの「三夜(さんや)川。海岸に一番近い横川の支流の支流で、流路はおよそ5キロと短い。夏井川左岸、平の鎌田~上神谷~塩~中神谷の水田の中央を貫通する排水路だが、途中から住宅が両岸に張りつく。
中神谷に移り住んだのは35年ほど前。そのころ、道路のすぐ向かいにも田んぼが残っていた。初夏は夜になると、カエルの大合唱が聞こえた。やがて田んぼは埋め立てられ、道路向かいは駐車場に、その奥は宅地になった。そこに義伯父が家を建てて首都圏から移住した。
東日本大震災では沿岸部が大津波に襲われ、多くの人が亡くなった。家を失った人も少なくない。いわきの北の相双地区からは原発避難をする人が相次いだ。時間の経過とともに、三夜川沿いの田んぼが宅地に変わり、アパートや戸建て住宅ができた。ほかの地区でも事情は同じだろう。
ある日、義伯父の家の裏からクレーン車の長い腕が伸びていた。家を建てているところだった=写真。田んぼがまた消えた。
田んぼは何枚残っているのだろう。家から半径100メートルの範囲内を、散歩を兼ねて見て回った。35年ほど前には田んぼが十数枚、いやもっとあったか。畑も小学校の校庭分くらいは残っていた。今は、畑はアパートができて半分に減り、田んぼは3枚あるだけだ。田畑に囲まれて家々が立っていたのが、家々に囲まれて田んぼや畑がある。ずいぶん様変わりした。
震災の年にはカエルの鳴き声が消えた田んぼもあった。いわき市の川前や川内村がそうだった。おととし(2014年)、1年間の任期でいわきに赴任したNGOの職員が義伯父の家に住んだ。カエルの鳴き声に驚いたといっていたが、今年はその鳴き声がわが家まで届くかどうか。
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