いわき地域学會の第314回市民講座が土曜日(2月20日)、いわき市文化センターで開かれた。野木和夫会員が旧炭鉱敷地内に残る「産業戦士像」について話した。
先の太平洋戦争下、全国の軍需産業施設(炭鉱や油田など)に11体の「産業戦士像」がつくられた。いわき地方では常磐炭砿と古河好間炭鉱に設置されたという。なかでも、好間の「産業戦士像」はスケールの大きさ、圧倒的な迫力からして全国トップクラスらしい。それらの像が設置された時代状況や製作者(美術家)集団について解説した。
太平洋戦争では、「一億総決起」とか「一億火の玉」とか、やたらに「一億○○」が使われた。国民総動員体制で戦争に勝つぞ――。「産業戦士像」はその一環として、石炭増産に向けて炭鉱労働者を鼓舞するために製作されたのだろう。
野木さんは国策プロパガンダ雑誌「写真週報」をテキストに、「産業戦士像」の話をした。写真誌は情報局が編集した。(戦争とメディア、戦争とプロパガンダを考えるうえで格好の材料になる。あとで野木さんから借りて読んでみよう)
情報局は、戦争に向けた世論形成、プロパガンダと思想取締の強化を目的に、昭和15(1940)年12月6日に発足した。内閣情報部と外務省情報部、陸軍省情報部、海軍省軍事普及部、内務省警保局図書課、逓信省電務局電務課の各省・各部課に分属されていた情報事務を統合して設置された内閣直属の機関だ。(ウィキペディア)
テキストに使用したのは、戦争後半の昭和19年1月26日号。「炭砿は断固掘り勝つぞ 」と題して常磐炭砿を特集している=写真。写真の絵ときに「炭砿戦士の労苦で掘り出された石炭は、いよいよ重点産業へ晴れの出陣だ」(入山炭砿)「毎朝4時半現場へ繰込む父や兄を学童が励まし送る。この心づくしがあって増産が果される」(磐城炭砿)などとある。
<時の立札>には「爆撃機1台をつくるには約200トンの石炭がいる/輸送船1隻をつくるには約3万トンの石炭がいる/炭礦では採炭に死ものぐるいだが、戦力をぐんと強めるにはまだまだ石炭が足りない/それぢゃ、その石炭は全国民で掘らう、さて、その秘法は――」。電灯・ガス・紙・衣料の節約のことで、それが家庭で石炭を掘っていることになるのだと説く。
総動員体制のなかで、中央の美術家・美術学校生たちも「戦場」に駆り出された。「産業戦士像」は、彼らの手で製作された。炭鉱の戦争遺産でもある。好間の「産業戦士像」がある場所は、聴講に来た同級生に聞いてわかった。今度見てみよう。
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