あのときはどこでも、だれでも修羅場だったのだと、読み終えて思う。当時、小規模郵便局の局長だった後輩から、<郵便局の3・11>ともいうべき文集『あぶくまの風』が届いた=写真。「福浜OB会」が師走(平成27年)に発行した。
いわき郵便局のような大規模局からわが家の前の小規模局まで、郵便局はハマ・マチ・ヤマのどこにでもある。福島県浜通りの、小さな局の集まりが「福浜会」、現役を卒業した局長たちの集まりが「福浜OB会」ということなのだろうか。
小さな局の地震と大津波、原発事故避難体験がつづられている。海岸に近い局のうち、いわきでは四倉新町・久ノ浜・豊間・江名、北の双葉・相馬郡を含めると11局が流失ないし全壊した。ほかに、原発事故で浜通り北部の26局が閉鎖(一時閉鎖も含む)された。OB会員2人も犠牲になったという。
郵便局には金庫やATMがある。ATM荒らし(未遂)と遭遇した、探していた金庫やATMがガレキのなかから見つかり、重機でこじ開けて現金を回収した――という話が載る。
いわきのある局長の奥さんが、津波で亡くなった近所の人の身元確認をしたことを、ご主人が書いている。旧知の女性で、前にその状況を記したはがきをもらったことがある。
同じく九死に一生を得た沿岸部(南相馬市・磯部)の局長さんがいる。近所の2人(佐々木節子、渡部克夫さん)から、津波が来るので逃げたらと避難を呼びかけられた。それで局員とともにあわてて避難したら、20分後に大津波が押し寄せた。区長の渡部さんは近所に触れ回っているうちに津波に飲まれて亡くなり、佐々木さんは今も行方不明のままだという。
局長さんは震災の1年後に退職した。「3月・8月または9月には、磯部地区に足を運びます。震災当時のことを思い、佐々木さん・渡部さんの自宅跡地に向かって、心の中で震災の時のお礼を言って、手を合わせてきます」。たぶん死ぬまで命の恩人が忘れられない。
元いわき市歯科医師会長の中里廸彦さんが、『2011年3月11日~5月5日 いわき市の被災状況と歯科医療活動記録』をまとめた。遺体安置所で身元不明の遺体特定のために歯を調べた日々。歯科医師会の活動はよく知られていない。それと同じように、<まちの郵便局の3・11>も。
後輩はこんなことも書いていた。震災3日目の3月13日。同い年の外科医のいとこが死んだ。平の自宅から植田町の病院へ通っていた。「地震当夜と翌晩泊りがけで、主に岩間、小浜町の被害者の救護にあたっていたようで、13日朝8時頃、帰宅して食事をしてトイレに入ったのですが、出てこなかったそうです。心筋梗塞のようでした。丁度60歳でした」。痛ましい。
3・11で何人が死んだ、何戸が流失・全壊した――といった統計的な把握はもちろん必要だが、ほんとうに大切なのは個別・具体、1人ひとりの生と死、それと向き合うことだと、あらためて『あぶくまの風』から学ぶ。
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