2018年9月15日土曜日

「私は考える人でありたい」

いわき市平の木村孝夫さん(72)は東日本大震災以来、140文字のツイッターで「震災詩」を書き続けている。その中から67篇を選んで、ポケット詩集『私は考える人でありたい――140文字の言葉たち』(しろねこ社、2018年8月1日刊)を出した=写真。
本人から贈呈を受けて思わず声を発した。「いい題名ですね」。現役のころ、パスカルの言葉をもじって、「新聞記者は考える足である」と自分に言いきかせてきた。「足で稼ぐ」だけではダメだ、「考える足」になれ――現場を取材するのは当たり前。しかし、同じような交通事故でも1件1件違う。なぜ起きたかを深く考えよ、と。「私は考える人でありたい」は、暮らしの現場での、私の自戒でもある。

木村さんとは震災後、シャプラニール=市民による海外協力の会が平で5年間、開設・運営した交流スペース「ぶらっと」で、ともに利用者・ボランティアとして知り合った。昔、職場に届く詩誌などを通して記憶にあった「詩人木村孝夫」、その人だった。

以来、詩集を出すと恵贈にあずかる。『ふくしまという名の舟にのって』(2013年)、『桜蛍』(2015年)、『夢の壺』(2016年)、そして今度の『私は考える人でありたい』。2014年には「ふくしまという名の舟にゆられて」で、福島県文学賞詩の部正賞を受賞している。

『ふくしまという名の舟にのって』のあとがきに、「奉仕活動を通して傾聴した被災者の方々の気持ちや、毎日のようにニュースになっている原発事故の収束状況などを下地として、作品を書き上げている。今も原発周辺はそのままだ。汚染水問題もあって刻々と状況が変化している。作品はその状況の変化を、心の状況と照らし合わせながら書いている」とある。その姿勢は、『私は考える人でありたい』まで一貫して変わらない。

 序詩ともいうべき巻頭の「私は考える人でありたい」は――。「この大地に立つとき私は考える人でありたい//一Fのメルトダウンから八年目に入った/東京電力は沢山の反省の言葉を置いたが/この大地に根付く前に枯れてしまった//真実の重みを持たない言葉は一滴の滴よりも軽く/大地の上に落ちることにも躊躇し続けていた//この大地に立つとき私は考える人でありたい」

 大地に立って考えることには二つの意味があるように思う。一つは、東電(政府を含む)の「真実の重みを持たない言葉」、つまり不誠実さに対する批判を持ち続けること。もう一つは傾聴者として、生活のレベルで原発避難者(津波被災者を含む)を思いやる気持ちを持ち続けること。『ふくしまという名の舟にのって』のあとがきを重ね合わせると、作者の心意がみえてくる。

 後者の気持ちを代弁する「郷愁」――。「古里は忘れる為にあるのではない/懐かしく思う為にあるのではない/生活をしながら老いて行く場所だ//そこが都会でなくても/そこには住み慣れた郷愁がある//古里を離れて七年が過ぎる/老いたものはより老いた/寡黙な心はより寡黙になった//言葉にすると涙が止まらなくなる」。賠償金うんぬん以前に、これが“原発難民”の真情だろう。

 前者や一過性の支援への皮肉を含んだ「約束」――。「足し算していくと/増えていくものと減っていくものがある//フレコンバッグは/数える前に数えきれないほど増えてしまった//寄り添うという言葉は/寄り添われていると感じる前に減ってしまった//足し算の答えは/増えることばかりではない//増えるものがあってその裏で減るものもある/約束という手形がそうだ」

考える詩人の言葉は身の丈を越えない。「私の背中には/老いた丸みがあるから/寒さもすべり落ちていく筈だが//あの日から 冬の寒さは/すべり落ちることを知らない」(「魔法の言葉」)、あるいは「ときどき昨日の夕日の欠片が落ちていたりするから/それを拾うとポケットは限りなく膨らむ」(「秋の終わりに」)。こういった軽みを含んだユーモアが私は好きだ。

2018年9月14日金曜日

ヒガンバナの花が咲き出した

 きのう(9月13日)、街の帰りに何日かぶりで夏井川の堤防を通った。土手のあちこちにヒガンバナが咲いていた=写真。今年(2018年)は遅い? 普通?
 いわきの平地のヒガンバナは、夏が天候不順だと9月になるかならないかのうちに咲き出す。今年は猛暑が続いたと思ったら、秋雨前線が停滞した。前に堤防を通った日から間隔があいて、花を見たのが遅れただけで、いつもの時期に咲き出したか。

 土手にはほかに、野生化したニラの白い花。侵略的な植物のアレチウリも部分的に繁茂している。アレチウリは根絶やしにするのが一番だが、次善の策として花が咲く前に刈り払う。しかし、もう花は終わって結実期に入ったかもしれない。

ヒガンバナの赤が土手に燃えるころ、夏井川にはサケの簗場(やなば)が設けられる。今年はヒガンバナの花より早かった。キンモクセイの香りも漂い始めたという。

 半ズボンとTシャツの夏から長ズボンと長そでの秋へ――となれば、感慨にひたっているひまはない。

夏井川渓谷の隠居の庭にある菜園では、毎年10月10日ごろ、昔野菜の「三春ネギ」の種をまく。春にまくいわきの平地のネギと違って、三春ネギは「秋まき」だ。その準備を始めないといけない。今夏、猛暑にも耐えてよく実をつけたキュウリのつるを始末し、そこに肥料を施して三春ネギの苗床にする。今年はいつもの年の倍の種が採れたから、苗床も倍の面積が必要だ。

 心配の種もある。初夏、苗床で育てたネギ苗とは別に、ネギ坊主をつくったあとに分げつしたネギを植え直した。その古いネギがいつの間にか数を減らしている。秋雨前線の停滞で土中の水分が多くなり、根腐れをおこしたか。猛暑は猛暑で野菜の出来が気になり、秋の長雨が続けば続いたで病気が心配になる。

2018年9月13日木曜日

シリア難民俳優がいわきへ

 いわき市南部の知人から電話が入ったのは、7月の梅雨明け前後だったか。「シリア難民俳優のいわき公演の話があるんですが」「シリア難民も原発難民も同じ、やるべし」というわけで、実行委員会に加わった。
難民俳優は双子のマラス兄弟(35歳)。シリアで生まれ、演劇と脚本を学んだ。日本で原発震災がおきた2011年、内戦化したシリアから脱出し、ベイルート(レバノン)、カイロ(エジプト)、パリ(フランス)を経て、今はパリの東北部・ランスに住む。

文楽の人形遣い・勘緑(旧吉田勘緑)さんの主宰する木偶舎が今年(2018年)2月、ヨーロッパツアーを行った。ランスの劇場で、3人で人形を動かす文楽のワークショップを実施したとき、マラス兄弟も参加した。最終日、「この地球に生まれて」を上演すると、兄弟は涙を浮かべて胸中を打ち明けた。「音楽をシリアのものにすれば、この演目は今のダマスカスだ。我々は同じく、子供が死んでいくのを何度も見た」

勘緑さんは兄弟に深く感動して思った。「生まれた場所を追放され、家族バラバラに難民となりながらも、(略)平和に向けた表現活動を続けている(略)。いつか一緒に舞台に立ちたい」。帰国後、生死にかかわる手術をした勘緑さんは、麻酔から覚めるとこの思いを実現するために動き出した。(以上、チラシから)

勘緑さんは2009年、勿来の関公園内にある吹風殿で人形浄瑠璃の公演を行った。知人はそのとき、勘緑さんと知り合った。その後、東日本大震災がおきると、勘緑さんは弟子たちとともに、ボランティアとして勿来を訪れ、人形を遣ったり、泥かきをしたりした。そのつながりから文楽とマラス兄弟のいわき公演が決まった。

「勘緑 秋のツアー2018」の一環として、10月2日(火)午後7時から、平・三町目のアートスペースもりたか屋で「演劇&トーク&人形浄瑠璃」が行われる。

演目は①「二人の難民」マラス兄弟=シリアから戦火を逃れてパリに着いた2人の難民の生活②「ボーン・オン・ジス・プラネット(この地球に生まれて)」=沖縄戦をモチーフにした木偶舎の同名作品にマラス兄弟が共演③トーク「シリアの双子と知り合って」=知っておこう難民のこと戦場のこと――の三つ。

チラシの余白に「だれもが“難民”になり得る時代」と題する小文を書いた。「被災者、難民、避難者――。言葉の定義はどうあれ、家を追われ、あるいは失い、ふるさとを追われて、よその地で生きるしかなくなった、という点では共通する。原発事故もまた、家族を、コミュニティを分断した。難民と受け入れコミュニティとのあつれきも生んだ」。私たちはそうしてこの7年余、多くの経験と知見を得た。その延長線上に今度の公演がある。
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チケットは前売り1500円(学生1000円)だが、定員は50人と限りがある。問い合わせは電話0246・77・1590か090・8253・6460(室井)まで。

2018年9月12日水曜日

「洟神」講座終了

現代詩作家荒川洋治さんが平成28(2016)年11月6日、いわきで三度目の講演をした。そのなかで、いわきの作家吉野せい(1899~1977年)の短編集『洟をたらした神』を中学校の国語の授業に使うことを提案した。
荒川さんが例に挙げたのは、あの有名な灘中学校。同中で34年間、文庫本一冊(中勘助の『銀の匙』)で国語の授業をした先生がいる。101歳で亡くなった橋本武さんで、受験のための技術ではなく、作品を通読し、寄り道をして調べ、自分で考える力をつけさせる、という学習サイクルを貫いた。

「百人一首の話が出てくれば、百人一首を暗記させる。戦国時代の話が出れば、その歴史を勉強するといったふうに、次から次に引っ張っていくんですよ。作品のなかの語句ひとつも、縦に横にと、ひろげて見ていく。ものすごい勉強になる。生きた授業ですね。/この『洟をたらした神』を、橋本式の『銀の匙』にしてはどうか」(荒川さん)

 吉野せいの研究者でもなんでもない。が、昭和50(1975)年春、『洟をたらした神』が田村俊子賞を受賞したとき、本人を取材した。本が出版されたときには書評めいた記事も書いた。そんな縁からこの40年余り、間歇的に『洟をたらした神』を読み返している。「語句」の注釈づくりもしていたので、<よし、やってやる>と荒川さんの“挑発”に乗ることにした。

 たまたま中央公民館から月に1回、8月を除く5~9月まで計4回の平成30年度前期市民講座を頼まれた。『「洟をたらした神」の世界』=写真=と題して、作品に出てくる語句の注釈をしながら、「どんどん横道にそれて、遊びながら学んでいく」(橋本武)ことにした。教材は中公文庫の『洟をたらした神』一冊。

 その講座もきのう(9月11日)、無事終わった。ひとことでいえば、楽しかった。なぜ楽しかったかといえば、現在進行形でキノコの菌糸のように『洟神』(受講者には『洟をたらした神』を縮めて「ハナカミ」といってきた)の知識が増殖されていくからだった。定員20人を超える受講者も熱心に話を聴いてくれた。

 せいの夫・義也(詩人・三野混沌)が導入に情熱を注いだ中国ナシ「莱陽慈梨(ライヤンツーリー)」、詩友猪狩満直が北海道で夢見たデンマーク式農業……。横道にそれることで、これまでの評伝や作品解説では知りえなかったものが見えてきた、という自負はある。と同時に、戦争に翻弄されつつも胸に反戦の思いを秘めていたせい像も浮かんできた。

なによりも、そのときそのときのせいの心情、あるいは混沌その他の人間の内面に触れることを念頭に調べを進め、話をした。炭鉱のこと、小名浜のこと、山村暮鳥のこと――まだまだたどらねばならない「横道」がある。脳みそがとろけないうちは“ライフワーク”として『洟神』に向き合う。

2018年9月11日火曜日

キノコ観察会・下――鑑定会

山中の雑木林でキノコの採集を終えたあとは、平地の小川公民館へ移動して鑑定会が行われた。
 昼食後、テーブルに新聞紙を広げ、さらに調査票(和名・学名・科名・同定者・採集者・採集場所・年月日などを記入するようになっている)を置いて、その上に採集したキノコを並べる。同定(種の確定)がすんだものには和名が書き込まれていく=写真上。
「キノコハンター」と呼んでいいほど、人の何倍も採る人がいる。ほかにも熱心な人がたくさんいる。鑑定用のテーブルが2列半になったのには驚いた。

 キノコ図鑑に載っていないような種を列挙すると――。ホオベニシロアシイグチ、ツギハギイグチ、クロチチダマシ、シイノモミウラモドキ、アオソメツチカブリ……。知識がアミタケ、チチタケ止まりの初心者には、どれがどれだかさっぱりわからない。和名の書き込みと現物をセットで撮影して初めて、キノコの名前と顔が一致する。図鑑に載っているのは氷山の一角にしかすぎないのだ。

 そのなかで、誤食すれば幻覚症状が出る毒キノコのオオワライタケ=写真左=だけは、すぐ頭に入った。見た目はうまそうなキノコだ。「シュイボガサタケ(仮)」と「(仮)」のついたキノコもあった。これは、不明菌なので同定者がその場で仮の名を付けた、ということを意味する。

キノコに精通すればするほど分からないことが増えてくるのだそうだ。「分かる」と「分ける」は同根、分類するから知識が蓄積されていく。

これまでの観察会の経験からいえば、形状・色彩ですぐわかるもの、ルーペが必要なもの、顕微鏡で胞子を見ないと分からないものと、キノコは同定のレベルが何層にもなっている。それだけ奥が深いということだ。しかも、研究はDNAレベルでの解析というところまで進んでいる。

 何年ぶりかで観察会に参加して、会員の識別レベルが上がっていることを感じた。それを裏付けるように、採集現場では「食べられる?食べられない?」という声があまり聞かれなかった。最初は「食欲」のために入会しても、年数を重ねるうちにキノコの美しさや不思議さに引かれて、「キノコ愛」が深まるのだろう。あらためてフィールドワークの面白さ・楽しさを実感した。
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 おととい(9月9日)紹介した超珍菌のアカイカタケについて、いわきキノコ同好会会員であり、福島きのこの会会長でもある阿部武さん(石川町)から、きのう、手紙が届いた。

観察会を開いた8日の夜、阿部さんから電話が入って、「福島県内にも関東にも記録はない、非常に珍しいキノコ」だということは知った。

手紙は、吉見昭一著『おどるキノコ イカタケのひみつ』(岩崎書店、1983年)を紹介するものだった。同書にアカイカタケの発生地を記した地図が載る(静岡県までの太平洋側に多く、東日本は空白)。いわきでの採集は、「国内では14ケ所目ということになります」とあった。発行所からすると、児童図書のようだ。いわきの総合図書館に本がある。きょう、さっそく借りて来て読んでみよう。

2018年9月10日月曜日

キノコ観察会・中――雑木林

 小川町の山麓に広い駐車場がある。そこがキノコ観察会の集合場所だった。およそ20人が5台ほどの車に相乗りして、今まで通ったこともない林道を行く。現地に精通している会員が先導した=写真上。道路自体に草が茂っているので、乗用車ではちょっと厳しい。草も木の枝も幽霊のように両側から「おいで、おいで」をしている。
 やや広いスペースに出た。巨大な花崗岩が林内に散見される。あとで地理院地図で確かめると、標高は250メートル前後。山塊そのものは700メートルを超えるので、麓に近い。とはいえ、鬱蒼として見通しがきかない。独りで入山するのは禁物だ。ま、そんな環境だからキノコが生えるのだが。

途中に鉄製のイノシシの箱罠があった。イノシシがラッセルしたあともあった。イノシシの領分に入り込んだわけだ。日中だからイノシシは出ない、とはかぎらない。「クマは?」。心配する人がいたが、それはさすがにいない。

北側斜面の林に入る。ただし、すぐ上の尾根を越えないこと――地形に詳しい会員が注意した。が、林床を見ながら斜面を上り下りするうちに、つい尾根を越えてしまうことがある。同じ車の相乗り組の1人がそうなった。

私は、林には入らず、林道を行ったり来たりして写真を撮るだけにした。しばらくたって、林から下りてきた、やはり同じ相乗り組の一人と一緒になる。その人のケータイが鳴った。別の相乗り組の人からだった。どこにいるかわからなくなったという。私も加わって名前を呼ぶと、やや遠くから声が返ってきた。それでも、林道に姿を見せるまで10分以上はかかった。
 
林道へ入る前、採集場所までのルートを記した地図を渡された。ケータイのほかに磁石を持っていれば、北へ入りすぎたことがわかるはず。私も観察会には磁石を持参していたが、今回は林道を歩くだけと決めて持って行かなかった。奥山・里山に限らず、キノコ採集には磁石が欠かせない。

さて、最初の場所での観察が終わったあと、参加者が採集したキノコをのぞいて回ったが、だいたいは「夏キノコ」だった。食菌としてはヤマドリタケモドキ、チチタケ、ナラタケモドキなど。「アオネノヤマイグチ?」のように、割いてみると青変する不明菌もあった=写真左。

今年(2018年)の夏は高温・乾燥の状態が続き、梅雨キノコも夏キノコも見なかった。ここにきて林床が湿りを帯び、菌糸の活動が活発になった。けっこうな数のキノコが採れた。

2018年9月9日日曜日

キノコ観察会・上――超珍菌

 きのう(9月8日)、いわき市小川町の山中でキノコ観察会が開かれた。いわきキノコ同好会が主催した。20人ほどが参加した。
 原発震災後、朝晩続けていた散歩にドクターストップがかかったこともあって、観察会には足が遠のいた。

 去年(2017年)秋、同好会の女性会員が小川町の林道で、日本固有のトリュフ「ホンセイヨウショウロ」を発見した。イノシシがミミズを探して土を掘り返したらしいあとに転がっていた。その経緯が同好会の会報、7月10日付のいわき民報に載った。

その後、今年の観察会の案内はがきが届き、1回目は小川の山の雑木林で開かれることを知る。トリュフが発生した環境を知りたい――ドクターの言葉より好奇心がまさって、林道を行ったり来たりするだけ、写真を撮るだけと、自分に言い聞かせて参加した。

 これはその速報だ。アカイカタケという、スッポンタケ科のキノコを採取した。きのうまで存在を知らなかった。“超珍菌”だという。

 アカイカタケは、パッと見には16本の触手を持った赤い森のイソギンチャクだ。一口大のケーキのようにも見える。平たい頂部には、凝固しかかった血液、あるいはゼリーのような層がある。かぐと腐臭がする。これが、胞子の運搬役のハエを呼ぶ。

この森のイソギンチャクは林道へりの草むらに生えていた=写真上。女性の参加者が花だと思って、棒でチョンチョンやりかけたのを、「写真に撮るから」と制止した。かがんで見るとキノコだった。これまでにも観察会で風変わりなキノコを見てきたが、イソギンチャク様のものは初めてだ。

写真を撮ったあとは、昼食後の鑑定会に出すべく、根元から慎重に掘り取った。私がこの観察会で採取した唯一のキノコだ=写真左(右側のアカイカタケは老菌)。

 同好会の冨田武子会長に見せると、「イカタケは初めて」という。同好会の会員でもあり、初対面の阿部武福島きのこの会会長にも聞く。「県内ではどうですか」「帰って記録を見ないとわからないが、あっても1、2例では」

夜、阿部会長から電話が入る。冨田会長にも報告したという。「福島県内にも関東にも記録はない、非常に珍しいキノコ」だそうだ。いわき市内初、いや福島県内初ということであれば、トリュフほどではないにしても、愛菌家の世界ではビッグニュースになる。晩酌が急きょ、祝い酒に切り替わった。

アカイカタケは「南方系のキノコ」(阿部会長)でもある。それが南東北まで北上してきた、つまり地球温暖化の影響が菌界にも及んでいる、ということではないか。「ふくしまレッドリスト」には、記載はない(発見例がないので当然?)。が、西日本、たとえば京都では「絶滅寸前種」だという。

菌界は未知の領域だらけだ。普通の市民がこうした観察会で新種・珍種・貴種に出合う確率は高い。40の“キノコ目”が林道と、そばの林内をサーチしたからこその発見だった。