いわき市平の木村孝夫さん(72)は東日本大震災以来、140文字のツイッターで「震災詩」を書き続けている。その中から67篇を選んで、ポケット詩集『私は考える人でありたい――140文字の言葉たち』(しろねこ社、2018年8月1日刊)を出した=写真。
本人から贈呈を受けて思わず声を発した。「いい題名ですね」。現役のころ、パスカルの言葉をもじって、「新聞記者は考える足である」と自分に言いきかせてきた。「足で稼ぐ」だけではダメだ、「考える足」になれ――現場を取材するのは当たり前。しかし、同じような交通事故でも1件1件違う。なぜ起きたかを深く考えよ、と。「私は考える人でありたい」は、暮らしの現場での、私の自戒でもある。
木村さんとは震災後、シャプラニール=市民による海外協力の会が平で5年間、開設・運営した交流スペース「ぶらっと」で、ともに利用者・ボランティアとして知り合った。昔、職場に届く詩誌などを通して記憶にあった「詩人木村孝夫」、その人だった。
以来、詩集を出すと恵贈にあずかる。『ふくしまという名の舟にのって』(2013年)、『桜蛍』(2015年)、『夢の壺』(2016年)、そして今度の『私は考える人でありたい』。2014年には「ふくしまという名の舟にゆられて」で、福島県文学賞詩の部正賞を受賞している。
『ふくしまという名の舟にのって』のあとがきに、「奉仕活動を通して傾聴した被災者の方々の気持ちや、毎日のようにニュースになっている原発事故の収束状況などを下地として、作品を書き上げている。今も原発周辺はそのままだ。汚染水問題もあって刻々と状況が変化している。作品はその状況の変化を、心の状況と照らし合わせながら書いている」とある。その姿勢は、『私は考える人でありたい』まで一貫して変わらない。
序詩ともいうべき巻頭の「私は考える人でありたい」は――。「この大地に立つとき私は考える人でありたい//一Fのメルトダウンから八年目に入った/東京電力は沢山の反省の言葉を置いたが/この大地に根付く前に枯れてしまった//真実の重みを持たない言葉は一滴の滴よりも軽く/大地の上に落ちることにも躊躇し続けていた//この大地に立つとき私は考える人でありたい」
大地に立って考えることには二つの意味があるように思う。一つは、東電(政府を含む)の「真実の重みを持たない言葉」、つまり不誠実さに対する批判を持ち続けること。もう一つは傾聴者として、生活のレベルで原発避難者(津波被災者を含む)を思いやる気持ちを持ち続けること。『ふくしまという名の舟にのって』のあとがきを重ね合わせると、作者の心意がみえてくる。
後者の気持ちを代弁する「郷愁」――。「古里は忘れる為にあるのではない/懐かしく思う為にあるのではない/生活をしながら老いて行く場所だ//そこが都会でなくても/そこには住み慣れた郷愁がある//古里を離れて七年が過ぎる/老いたものはより老いた/寡黙な心はより寡黙になった//言葉にすると涙が止まらなくなる」。賠償金うんぬん以前に、これが“原発難民”の真情だろう。
前者や一過性の支援への皮肉を含んだ「約束」――。「足し算していくと/増えていくものと減っていくものがある//フレコンバッグは/数える前に数えきれないほど増えてしまった//寄り添うという言葉は/寄り添われていると感じる前に減ってしまった//足し算の答えは/増えることばかりではない//増えるものがあってその裏で減るものもある/約束という手形がそうだ」
考える詩人の言葉は身の丈を越えない。「私の背中には/老いた丸みがあるから/寒さもすべり落ちていく筈だが//あの日から 冬の寒さは/すべり落ちることを知らない」(「魔法の言葉」)、あるいは「ときどき昨日の夕日の欠片が落ちていたりするから/それを拾うとポケットは限りなく膨らむ」(「秋の終わりに」)。こういった軽みを含んだユーモアが私は好きだ。
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