2018年9月12日水曜日

「洟神」講座終了

現代詩作家荒川洋治さんが平成28(2016)年11月6日、いわきで三度目の講演をした。そのなかで、いわきの作家吉野せい(1899~1977年)の短編集『洟をたらした神』を中学校の国語の授業に使うことを提案した。
荒川さんが例に挙げたのは、あの有名な灘中学校。同中で34年間、文庫本一冊(中勘助の『銀の匙』)で国語の授業をした先生がいる。101歳で亡くなった橋本武さんで、受験のための技術ではなく、作品を通読し、寄り道をして調べ、自分で考える力をつけさせる、という学習サイクルを貫いた。

「百人一首の話が出てくれば、百人一首を暗記させる。戦国時代の話が出れば、その歴史を勉強するといったふうに、次から次に引っ張っていくんですよ。作品のなかの語句ひとつも、縦に横にと、ひろげて見ていく。ものすごい勉強になる。生きた授業ですね。/この『洟をたらした神』を、橋本式の『銀の匙』にしてはどうか」(荒川さん)

 吉野せいの研究者でもなんでもない。が、昭和50(1975)年春、『洟をたらした神』が田村俊子賞を受賞したとき、本人を取材した。本が出版されたときには書評めいた記事も書いた。そんな縁からこの40年余り、間歇的に『洟をたらした神』を読み返している。「語句」の注釈づくりもしていたので、<よし、やってやる>と荒川さんの“挑発”に乗ることにした。

 たまたま中央公民館から月に1回、8月を除く5~9月まで計4回の平成30年度前期市民講座を頼まれた。『「洟をたらした神」の世界』=写真=と題して、作品に出てくる語句の注釈をしながら、「どんどん横道にそれて、遊びながら学んでいく」(橋本武)ことにした。教材は中公文庫の『洟をたらした神』一冊。

 その講座もきのう(9月11日)、無事終わった。ひとことでいえば、楽しかった。なぜ楽しかったかといえば、現在進行形でキノコの菌糸のように『洟神』(受講者には『洟をたらした神』を縮めて「ハナカミ」といってきた)の知識が増殖されていくからだった。定員20人を超える受講者も熱心に話を聴いてくれた。

 せいの夫・義也(詩人・三野混沌)が導入に情熱を注いだ中国ナシ「莱陽慈梨(ライヤンツーリー)」、詩友猪狩満直が北海道で夢見たデンマーク式農業……。横道にそれることで、これまでの評伝や作品解説では知りえなかったものが見えてきた、という自負はある。と同時に、戦争に翻弄されつつも胸に反戦の思いを秘めていたせい像も浮かんできた。

なによりも、そのときそのときのせいの心情、あるいは混沌その他の人間の内面に触れることを念頭に調べを進め、話をした。炭鉱のこと、小名浜のこと、山村暮鳥のこと――まだまだたどらねばならない「横道」がある。脳みそがとろけないうちは“ライフワーク”として『洟神』に向き合う。

0 件のコメント: