2020年11月23日月曜日

「近助」を入れて「四助」

                    
 ゆうべ(11月22日)、久しぶりに強い地震があった。「緊急地震速報」がテレビ画面に表示される前に、ドンと突き上げてガタガタときた。「4だな」。そう思いながらも立ち上がる。カミサンはヒーターのスイッチを切る。震源は茨城県沖、同県北部で震度5弱、福島県の浜通りは体感通り4だった。

 さて、本題――。自助・共助・公助の「三助」をよく耳にするようになった。それとは別に、この10年の間に東日本大震災と台風19号の水害を経験したいわき市民は、大規模災害時、公助はあてにならない、自助と共助で命を守るしかないことを痛感した。

阪神・淡路大震災では特に、倒壊家屋の中から家族や隣人を救い出すのに共助が大きな力となった。道路ががれきでふさがれ、救急車も消防車も近づけなかった。そんな例が多かったことを、前に防災講演会で聴いた。

 首相がいう、まず自助、次に共助、最後に公助――は、大規模災害時にはその通りだろう。しかし、どうも「平時」からそうでなければならない、といっているように聞こえる。区内会の役員の一人として地域社会と向き合っていると、こうした直線的思考では地域社会は守れない、という思いが強い。

 地域に千人の人間が住んでいれば、千通りの考えと行動がある。男と女、老人と子どもがいる。独り暮らし、別居、老夫婦2人、原発避難者、津波・台風避難者がいる。経済的に恵まれている人とそうでない人、健康な人と病気の人、ひきこもる人とはいかいする人がいる。歩道側溝のふたが割れたり、違反ごみが出たりする。ありとあらゆるものが入り乱れ、もつれながらもつながっているのが地域社会、といっていい。

だれの世話にもならず、健康ではつらつとして、毎日楽しく暮らしている――そんな人間がいないわけではないが、おおかたは家族や親類、隣近所の協力を得て、なんとか平穏を保っている。そういう人たちもまた、なにかの、だれかの支えになって生きている。お互いさま、なのだ。

地域は矛盾のかたまり、常に混沌とした状態、と私にはみえる。自助・共助・公助が同時に存在するからこそ、「おおむね平穏」の状態を維持している。

昨年(2019年)秋、夏井川流域が台風で大水害に遭った経験の教訓だろう。いわき市文化センターにある中央公民館の告知板に、防災教室のポイントが紹介されていた=写真。自助・共助・公助のほかに「近助」があるという。「三助の変化」として、日ごろから①自助=自分の命は自分で守る②近助=近所での協力と助け合い③共助=地域で協力して助け合う④協働・公助=自治体や公共機関の対応と連携・協力し、ボランティア活動を行う――。

防災が主眼の市民講座だが、「共助」が小さな地域=近所の「近助」と、大きな地域=地域社会(コミュニティ)の「共助」に細分された。つまり、「四助」。暮らしの現場ではすでにそういうところまできている。それからみると、まず自助、次に共助、最後に公助、などという直線的な物言いは周回遅れもいいところ――となる。

2020年11月22日日曜日

カツオは三度おいしい

        
 日曜日の夕方は、染付のマイ皿(径20センチほどの中皿)を持って、いつもの魚屋さんへ刺し身を買いに行く。カツオがある限りは何もいわなくても、マイ皿にカツ刺しを盛りつけてくれる。今年(2020年)も2月下旬にカツ刺しを食べ始め、今も食べ続けている。

若ダンナとのやりとりが勉強になる。「きょうはどこへ?」「山(渓谷の隠居)で土いじり」。背広で行くと、「おやっ、なんですか、きょうは」。そこから海と魚、「海水温が高くてサンマが南下して来ない」といった話になる。

先日は高級魚のアカジ(標準和名キチジ=アカジはいわきの方言。キンキとも)について教えられた。「アカジがひどい状況になってます」「(魚屋が)赤字?」――ではなかった。煮つけも、開きの干物もおいしい。「魚屋に回って来ないんです、みんな旅館に持って行かれて」

いわき市内、というよりはお隣、関東圏北端の港町・平潟のことらしい。「Go To トラベル」を利用して、ふだんは素通りする旅館に泊まる。旅館はそのため、名物のアンコウのほかに、アカジを集める。その影響が地域の魚屋にまで及んでいる、ということなのだろう。

アカジには全く縁がない。しかし、コロナ禍の観光浮揚策がそういうかたちで周辺の日常に波及するとは、想像もつかなかった。どこかを助ければどこかが沈む浮世のならい、だろうか。

カツ刺しの話に戻る。前に「今年(2020年)一番のカツオです」というのを食べた=写真。「とろガツオ」に近い。甘みにうまみが重なって舌が喜んだ。

それから1カ月がたって、もう11月も下旬に入った。例年だと、カツオは入荷が終わって、サンマやタコの刺し身に切り替わる。しかし、市場に入る限りはカツ刺しにしている。

マイ皿はこの何年か変わらない。盛りつけられる量も決まっている。義弟を含む3人で食べるのも同じ。ところが、このごろは晩酌の量が減った。それに合わせて、食べる量も減った。最近は、3分の1近く余るようになった。とりあえず、残ったら大根の「けん」をかぶせて冷蔵庫に入れる。

翌朝、1切れずつわさび醤油(じょうゆ)につけて、ご飯にのせる。これを4、5回やって海鮮丼の気分を味わう。その残りを、こんどは夜、「にんにく揚げ」にしてもらう。フライパンに多めに油を引いて揚げる。酒のつまみが一つ増える。

先週(11月15日)も全く同じパターンになった。刺し身、海鮮丼、にんにく揚げ。鮮度がいいので、わが家では、というより私は、日曜日の夜と月曜日の朝・夜の3回、カツオを食べる。三度とも味が違っておいしい。きょう(11月22日)もカツオはあるか。

2020年11月21日土曜日

カエデの紅葉とカメラマン

        
 11月8、15日と日曜日の夏井川渓谷は、カエデの紅葉が目当ての行楽客でごった返した。どちらの日も朝9時には渓谷の牛小川にある隠居に着いた。すでに行楽客が道路を往来していた。

 対岸の斜面を彩る紅葉(カエデ以外の広葉樹が中心)はあらかた葉を落とし、白い骨のように林立している。それはそれでいい被写体になる。

 カエデは県道小野四倉線沿いに点在している。どこでもいいのではと思うのだが、カメラマンが吸い寄せられるカエデの木は決まっている。その木なら、岩をかんで白く泡立つ眼下の渓流を背景に、紅葉したカエデを目の高さで撮影できる。錦展望台の近くにある。15日の朝もカメラの放列ができていた=写真上1。

 なぜその木に? 昔、疑問に思って調べたことがある。月刊の写真雑誌でその木の紅葉の写真が特賞だかなにかに入った。以来、賞を取れる?カエデの紅葉として、市内外に知られるようになったらしい。

 逆光。陽光。カメラマンによって狙う時間帯は異なる。私は、「芸術性」は二の次、逆光でも陽光でも「まずは現場写真を」の方だ。文章が主、写真は従と考えてきた記者時代の悪い癖で、写真は「撮ればいい」レベルにとどまっていた。しかし、カエデならなんでもいい、ではだめなことが、ブログを続けているうちにわかってきた。

このごろは、写真が先、文章はそのあと、に変わった。デジカメの機能のうち、植物やキノコは「接写」で、運動会や鳥、虫は「連写」で撮る。ウデは上がらないが、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」は、たまに当たる。どこへ行くにもカメラを手放さない。そのくらいの習慣は身に付いた。

 それで、まず「記録」として写真を撮る。少しはアングルを考えながら。今年(2020年)6月中旬、隠居に空き巣が入った。ガラス戸が割られていた。物置にあった鎌の柄でたたき割ったらしい。廊下にガラス片が散らばり、畳の上に鎌が置いてあった。それらの「状況証拠」も、構図を考えながら撮影した。

 警察の鑑識が終わったあとは、割られた部分を段ボールの紙でふさいだが、11月に入って吹き込む風が冷たくなってきた。後輩にこぼすと、ガラス切りを持っているという。

15日の日曜日、後輩がガラス戸の修繕にやって来た。こちらで用意していたガラスはサイズが合わない。すると、カミサンが隠居に飾ってある写真の額を持ってきて、ガラスをはずした。それを切って割れ目をふさいだ。その様子も撮影し、「記録」として残した=写真上2。

 それが終わってやっと、周りのカエデの紅葉を眺めるゆとりができた。前に観光関係の知り合いから教えられた撮影ポイントがある。人気のカエデと同じく、直下を渓流が岩をかんで流れている。牛小川の隣、椚平(くぬぎだいら)の小集落の一角にあって、ふだんは車で通りすぎるだけだ。

そばに立ち枯れの赤松があった。危険なために伐採されたかして、いつか姿を消した。今はそのあたりにカラーコーンが置かれ、近づかないようにロープが張られている。カエデの撮影を、と思ったが、やはり車で通り過ぎるだけにした。一度、カメラを手に、立ち入り禁止のわけを確かめねば――。

2020年11月20日金曜日

気温は「夏日」寸前だった

        
 11月の今は、上は半そでの下着・厚手のシャツ・チョッキ・薄手の半纏(はんてん)の4枚だが、きのう(11月19日)は早々と半纏を脱いだ。

半纏は木綿地だ。12年前、赤いちゃんちゃんこよりは黒い半纏がいい――と、刺繍(ししゅう)工芸家望月真理さんの作品を還暦祝いに購入した。タイの少数民族の衣装をアレンジしたものだという。それを春と秋に羽織っている。

午後は昼過ぎに街なかの国道399号(旧国道6号)を通った。デジタル温度計が「24°C」を表示していた。「夏日」寸前で、少し体を動かすだけで汗ばんだ。

11月中旬も終わりのこの暑さに、ハクチョウたちもへきえきしたのではないか。日曜日(11月15日)の朝、カミサンが空を飛ぶハクチョウの一群を撮った。データを拡大すると、1羽が青く長い首環を付けている。野鳥に詳しい知人が山階鳥類研究所に連絡すると、なんらかの事故で青い筒が首にはまったのではないか、ということだった。

ブログで書いてそれで終わり、というわけにはいかない。もっとちゃんとした写真を撮りたい。知人も時間をつくって見て回るという。

火曜日(11月17日)の昼前、在宅ワークの合間に、前にえさをついばんでいた長友(四倉)の田んぼを見たあと、反時計回りに平の北神谷~中神谷~鎌田の田んぼと、夏井川の堤防を巡った。夏井川では何羽かが頭を翼に入れて昼寝をしていた。“青首”がいるかどうかはわからなかった。

途中、下片寄(平)の田んぼのへりにいたダイサギを至近距離で撮影した=写真上1。サギは飛び立つとき、フワッと舞い上がる。普通のカメラでもこのくらいの写真を撮ることができる。私のようなシロウトには向いている。

きのうは義弟の定期診療送迎と薬をもらいに、平と内郷の間を3回往復した。1回目と3回目の帰りに夏井川の堤防を利用した。朝は8時半過ぎ、新川が合流する塩地内からサケのやな場がある中神谷まで、ざっと1キロの間に100羽近いハクチョウが散らばって休んでいた。一番下流のグループにも“青首”はいなかった=写真上2。

昼に向かって気温が上昇した。カミサンと義弟が戻ってきてからは、玄関の戸も茶の間のガラス戸も開け放しにした。3回目に内郷へ行った帰り、いわき駅前の総合図書館に寄ると、半そでシャツの若者がいた。元職場の後輩と地下駐車場でばったり会った。この後輩も薄着2枚で丸首シャツの長そでを二の腕までまくり上げていた。

3回目の内郷行きの前、茶の間でくつろいでいたら、蚊が現れて左手の甲に止まった。反射的にパシッとやった。11月としては初めて8日に刺された。蚊を見た「最後」はとりあえず19日まで伸びた。

晩酌はいつものようにお湯割りにした。水割りにすべきだった。お湯を流し込むたびに体がホカホカする。11月19日、昼も夜も汗ばむような誕生日になった。(けさの7時はしかし、もう雨模様だ)

2020年11月19日木曜日

コロナ禍の子どもたち

        
 先日、といっても3週間近く前だが、家庭教育支援者いわき地区研修がいわき市文化センター大ホールで開かれた。地域の青少年育成市民会議に関係しているので聴講した。“3密”を避けるため、隣の席が空くよう、一つおきに「×」の紙が張られていた=写真上。大ホールになったのも、聴講者数に対応したスペースがそこしかなかったからだろう。

 研修は、1部がオンライン講義で、NPO法人親子コミュニケーションラボ代表理事天野ひかりさん(フリーアナウンサー)が、ステージのモニター画面を通じて話した=写真下。会場風景も同時に映って、双方向のかたちで講義が行われた。ネットを介した講演を初めて経験した。

 2部は、地元いわきの医療創生大学特任准教授久保尊洋さんが「新型コロナウイルス状況下における子どもの心のケアについて」と題して講義した。こちらは通常の生の講演だった。

 久保さんは今年(2020年)5月、登校日を利用して、いわき市内の中学生500人を対象に、「コロナ禍のストレス」に関する調査をした。その結果の一部――。

 コロナ恐怖がやや高めの生徒が40.3%、高めの生徒が14.0%、つまりクラスの半数は確実にコロナ恐怖をもっていることがわかった。イタリアやロシアと比較して、コロナ恐怖が高い傾向にあるという。

 何を不安に感じているか、では、①普段の勉強58.7%②受験勉強や入試50.9%③部活動や大会50.3%④友達関係24.5%――と、勉強への不安が大きい。

 子どもへのサポートとして、久保さんは4点を挙げた。①道具的サポート=勉強を教えるなど②情緒的サポート=励まし・相談など③情報的サポート=必要な情報や知識の提供など④評価的サポート=評価で子どもの自信をつける――で、話を聴くときやってはいけないのが、「いや、違う」などの遮りや書き留め。(以前、傾聴ボランティアに聞いたことがあるが、それをやると話し手は口をつむぎ、心を閉ざしてしまう)

 コロナ恐怖が高いと抑うつ・不安の症状が高い、病気にかかりやすい人間ほどコロナ恐怖を感じやすい、ともいう。

 地域の人間としては主に朝と午後、家の前を通る子どもたちの見守りということになるのだが、講演中はずっと中1と小5の孫の顔を思い浮かべながら聞いた。

 コロナ問題で、子ども同士の差別や偏見を減らすには――。コロナに関する情報を制限する、日本赤十字社などのような確かな情報源を勧める、SNSなどで差別的な言動に同調しないようにする、などが大事、ということだった。

 同時に、この事態に対応しているすべての人々にねぎらいと敬意、感謝の気持ちを――とも。それは子どもに限らない、コロナの第三波がいわれている今、大人も忘れてはならないことだ。

2020年11月18日水曜日

朝ドラ「エール」と「高原列車は行く」

                      
 私が生まれて初めて覚えた歌謡曲は、昭和29(1954)年発売の「高原列車は行く」だった。そのとき、6歳。

同じころはやった歌謡曲に鶴田浩二「街のサンドイッチマン」(昭和28年)、春日八郎「お富さん」(同29年)「別れの一本杉」(同)、菅原都々子「月がとっても青いから」(同)、宮城まり子「ガード下の靴みがき」(同)、三橋美智也「リンゴ村から」「哀愁列車」(同31年)などがある。

 小学校に入学したのは同30年。そのころ、家(床屋)のラジオから毎日、流行歌が流れていた。なかでも「高原列車は行く」はなぜか体で覚えている。

 阿武隈の山里では、子どもが小学校に入学するとき、親が近所の子どもを招いて祝いの会を開いた。大人の宴会と同じく、小さな紳士・淑女が主役の子どもを囲んで食事をする。

1歳年下の女の子のお祝いの会で――。こちらは1年生から2年生になるときだ。主役の女の子の母親におだてられて、アカペラ(当然だが)で「高原列車は行く」を歌った。きのうのことは忘れても、このときのことはたぶん死ぬまで覚えている。歌う快感と喝采(かっさい)が脳裏に刻まれた。

 その延長線上にあるのかもしれない。社会人になって飲み会になり、なにか1曲を――といわれたら、陸上競技をやっていたノリで手足を大きく動かしながら、「高原列車は行く」を歌う。

作詞は田村郡小野町出身の丘灯至夫、作曲は福島市出身の古関裕而、歌は岡本敦郎だ。丘は毎日新聞記者として福島支局に勤務していたころ、古関家の2階に下宿したというエピソードがある(古関裕而の自伝『鐘よ鳴り響け』)。

朝ドラの「エール」で先週(11月第2週)、主人公の古山裕一が「高原列車は行く」を作曲するシーンがあった。弟の浩二が農業会の歌詞「高原列車は行く」を裕一に渡して作曲を依頼する。できた曲が流れる。つい体を動かしながらハミングした。

同じ週の「うたコン」は「ぶらり!秋のうた旅」で、「エール」にもチラッと出演した演歌歌手徳永ゆうきともう1人、辰巳ゆうとが「高原列車は行く」を熱唱した=写真。

今週(11月第3週)は、伝説のラジオドラマ「君の名は」の歌と放送シーンから始まった。私は記憶にない。が、カミサンは小学校3年生。「君の名は」の時間になると、居間でラジオを聞く母親に店番(米屋)を頼まれたそうだ。「エール」から曲が流れた瞬間、歌い出したのには驚いた。やはり体で覚えているのだろう。子どものころの年の差は大きい。

「エール」は来週(11月第4週)で終わる。4月の放送開始以来、コロナ禍の撮影中断、異例の再放送があったものの、県民の間に過去のご当地ソングや古関メロディーへの興味・関心が広がった。

いわきのご当地ソングでいうと、「平市歌」の曲の発掘が新聞記事になった。草野心平が書いた「内郷小唄」を紹介する若い仲間の文章も読んだ。流行歌やご当地ソングは地域と家族の歴史、あるいは自分史を掘り起こすいい材料になる――そのことをあらためて実感した。

2020年11月17日火曜日

青い首環のハクチョウを探して!

きのう(11月16日)の拙ブログで、カミサンが空を飛ぶハクチョウの一群を写真に撮った、なかに青い首環(くびわ)をしているのがいた――と書いた。首環は緑色なら日本、赤色ならロシア。「青色は? どなたかご教示を」。最後にそう記した。

するとすぐ、旧知の日本野鳥の会いわき支部長氏が動いてくれた。鳥類の標識調査は、山階鳥類研究所が環境省から委託されて実施している。そこへ問い合わせた。

答えが“異常事態”を告げている。①オオハクチョウならモンゴル、コハクチョウならアラスカで青色の首環を使用する②(支部長氏が送った画像を見て)これほどの長さの首環は、ほかの色でも見たことがない③なんらかの事故で首に青色の筒がはまってしまったのかもしれない④今後、どこかでこの個体に遭遇したら、近距離での写真を見せてほしい――。

きのうのブログでは、10年前の平成22(2010)年2月、家の近場の平・塩~中神谷地内の夏井川で緑色の首環を付けたコハクチョウがいたことも書いた。「白鳥おじさん」に教えられて写真を撮った。その個体の首環と足環がどういうものかを知ってもらうために、当時の写真をアップする。首環にも足環にも文字が記されている(首環には発信機が付いていた)=写真。

きのうも書いたが、この個体は同21(2009)年10月、北海道・網走のクッチャロ湖で「169Y」の首環・足環を装着された。

日曜日(11月15日)朝に神谷の上空を通過した個体の首環は、長さがこの緑色の首環の倍以上はある。これでは首の動きがままならないかもしれない。そう思いながらも、「なんらかの事故」までは想像が及ばなかった。

それが事実だとしたら、このハクチョウは苦しんでいる。支部長氏の情報に接して、あらためてそう思った。これはもう“救出作戦”を展開しないといけない事態ではないだろうか。

夜、また支部長氏から情報が届いた。写真を拡大しても文字らしいものは見えない、やはりなんらかの筒ではないか――という。私もあらためて写真を拡大してみた。正式の首環(標識)なら掲載写真のように首の下部=胸元にある。青い首環は逆に、首の上部=のど元にひっかかっている感じ。そこだけ首が細く圧迫されているような印象を受ける。

このハクチョウがどこにいるのか、まずはそれを確かめないといけない。いわき市内の夏井川では、平窪(平)、そして下流の塩(平)と上流の三島(小川)の3カ所が越冬地だが、昼間は下流域一帯の田んぼに散らばってえさをついばんでいる。平窪や赤井、神谷のほかに、四倉・長友方面、夏井川右岸の丘を越えた滑津川流域の田んぼにもいるようだ。

写真を撮ったカミサンの話だと、青い首環をした個体を含むグループは、神谷からそのまま四倉方面へ飛んで行った。ということは、日中、北神谷(平)から長友(四倉)あたりの田んぼにいる可能性もある。

 とにかくできるだけ早く発見して、青い筒をはずしてやらないといけない。そのためにも近距離で写真を撮って確かめねば……。きのうは「ご教示を」だったが、きょうは「捜索を」「早く発見を」――そんな気持ちに代わった。