11月8、15日と日曜日の夏井川渓谷は、カエデの紅葉が目当ての行楽客でごった返した。どちらの日も朝9時には渓谷の牛小川にある隠居に着いた。すでに行楽客が道路を往来していた。
対岸の斜面を彩る紅葉(カエデ以外の広葉樹が中心)はあらかた葉を落とし、白い骨のように林立している。それはそれでいい被写体になる。
カエデは県道小野四倉線沿いに点在している。どこでもいいのではと思うのだが、カメラマンが吸い寄せられるカエデの木は決まっている。その木なら、岩をかんで白く泡立つ眼下の渓流を背景に、紅葉したカエデを目の高さで撮影できる。錦展望台の近くにある。15日の朝もカメラの放列ができていた=写真上1。
なぜその木に? 昔、疑問に思って調べたことがある。月刊の写真雑誌でその木の紅葉の写真が特賞だかなにかに入った。以来、賞を取れる?カエデの紅葉として、市内外に知られるようになったらしい。
逆光。陽光。カメラマンによって狙う時間帯は異なる。私は、「芸術性」は二の次、逆光でも陽光でも「まずは現場写真を」の方だ。文章が主、写真は従と考えてきた記者時代の悪い癖で、写真は「撮ればいい」レベルにとどまっていた。しかし、カエデならなんでもいい、ではだめなことが、ブログを続けているうちにわかってきた。
このごろは、写真が先、文章はそのあと、に変わった。デジカメの機能のうち、植物やキノコは「接写」で、運動会や鳥、虫は「連写」で撮る。ウデは上がらないが、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」は、たまに当たる。どこへ行くにもカメラを手放さない。そのくらいの習慣は身に付いた。
それで、まず「記録」として写真を撮る。少しはアングルを考えながら。今年(2020年)6月中旬、隠居に空き巣が入った。ガラス戸が割られていた。物置にあった鎌の柄でたたき割ったらしい。廊下にガラス片が散らばり、畳の上に鎌が置いてあった。それらの「状況証拠」も、構図を考えながら撮影した。
警察の鑑識が終わったあとは、割られた部分を段ボールの紙でふさいだが、11月に入って吹き込む風が冷たくなってきた。後輩にこぼすと、ガラス切りを持っているという。
15日の日曜日、後輩がガラス戸の修繕にやって来た。こちらで用意していたガラスはサイズが合わない。すると、カミサンが隠居に飾ってある写真の額を持ってきて、ガラスをはずした。それを切って割れ目をふさいだ。その様子も撮影し、「記録」として残した=写真上2。
それが終わってやっと、周りのカエデの紅葉を眺めるゆとりができた。前に観光関係の知り合いから教えられた撮影ポイントがある。人気のカエデと同じく、直下を渓流が岩をかんで流れている。牛小川の隣、椚平(くぬぎだいら)の小集落の一角にあって、ふだんは車で通りすぎるだけだ。
そばに立ち枯れの赤松があった。危険なために伐採されたかして、いつか姿を消した。今はそのあたりにカラーコーンが置かれ、近づかないようにロープが張られている。カエデの撮影を、と思ったが、やはり車で通り過ぎるだけにした。一度、カメラを手に、立ち入り禁止のわけを確かめねば――。
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