ゆうべ(11月22日)、久しぶりに強い地震があった。「緊急地震速報」がテレビ画面に表示される前に、ドンと突き上げてガタガタときた。「4だな」。そう思いながらも立ち上がる。カミサンはヒーターのスイッチを切る。震源は茨城県沖、同県北部で震度5弱、福島県の浜通りは体感通り4だった。
さて、本題――。自助・共助・公助の「三助」をよく耳にするようになった。それとは別に、この10年の間に東日本大震災と台風19号の水害を経験したいわき市民は、大規模災害時、公助はあてにならない、自助と共助で命を守るしかないことを痛感した。
阪神・淡路大震災では特に、倒壊家屋の中から家族や隣人を救い出すのに共助が大きな力となった。道路ががれきでふさがれ、救急車も消防車も近づけなかった。そんな例が多かったことを、前に防災講演会で聴いた。
首相がいう、まず自助、次に共助、最後に公助――は、大規模災害時にはその通りだろう。しかし、どうも「平時」からそうでなければならない、といっているように聞こえる。区内会の役員の一人として地域社会と向き合っていると、こうした直線的思考では地域社会は守れない、という思いが強い。
地域に千人の人間が住んでいれば、千通りの考えと行動がある。男と女、老人と子どもがいる。独り暮らし、別居、老夫婦2人、原発避難者、津波・台風避難者がいる。経済的に恵まれている人とそうでない人、健康な人と病気の人、ひきこもる人とはいかいする人がいる。歩道側溝のふたが割れたり、違反ごみが出たりする。ありとあらゆるものが入り乱れ、もつれながらもつながっているのが地域社会、といっていい。
だれの世話にもならず、健康ではつらつとして、毎日楽しく暮らしている――そんな人間がいないわけではないが、おおかたは家族や親類、隣近所の協力を得て、なんとか平穏を保っている。そういう人たちもまた、なにかの、だれかの支えになって生きている。お互いさま、なのだ。
地域は矛盾のかたまり、常に混沌とした状態、と私にはみえる。自助・共助・公助が同時に存在するからこそ、「おおむね平穏」の状態を維持している。
昨年(2019年)秋、夏井川流域が台風で大水害に遭った経験の教訓だろう。いわき市文化センターにある中央公民館の告知板に、防災教室のポイントが紹介されていた=写真。自助・共助・公助のほかに「近助」があるという。「三助の変化」として、日ごろから①自助=自分の命は自分で守る②近助=近所での協力と助け合い③共助=地域で協力して助け合う④協働・公助=自治体や公共機関の対応と連携・協力し、ボランティア活動を行う――。
防災が主眼の市民講座だが、「共助」が小さな地域=近所の「近助」と、大きな地域=地域社会(コミュニティ)の「共助」に細分された。つまり、「四助」。暮らしの現場ではすでにそういうところまできている。それからみると、まず自助、次に共助、最後に公助、などという直線的な物言いは周回遅れもいいところ――となる。
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