2010年8月16日月曜日

石森山三代記


きのう(8月15日)午後、3歳の孫が父親とやって来た。「これから石森山へ行く」という。石森山は独身時代からのわがフィールドだ。息子がやがて自分のフィールドにした。その子ども、つまり私の孫も、父親に連れていかれているうちに石森山になじみつつあるようだ。やがて自分のフィールドにするのだろうか。

月遅れ盆最後の日、本でも読んで静かに過ごそうと思って、午前中はそうした。が、午後になって昼寝をしようとしたきに、息子と孫がやって来た。「どうする」と息子がいう。否やはない。親子三代が初めて、石森山の遊歩道の土を踏む。

まずは野鳥、次に野草、その次にキノコのフィールドとして、20~30代に私は石森山の遊歩道を巡り歩いた。夜、子どもたちを連れて真っ暗な林に入り、樹液に集まるカブトムシを見に行った。夜明け、カブトムシがいるかもしれないと、子どもを起こしてその場所へ駆けつけたこともある。

息子は、その場所の記憶が残っていた。子どもを、つまり孫を連れていくところも同じだった。昔、山寺の住職の隠居でもあったところではないかと思うのだが、平らになっていてコナラとクヌギが生えている。人間が幹に傷をつけて樹液を出させる。で、とっくに枯れた木もある。

樹液レストランにはカナブンがいた、チョウがいた、オオスズメバチもいた=写真。カメラを三脚にすえた父子もいた。「5月に野鳥を見に来たときに気に入ってやって来たら、大きなチョウがいた」。写真に撮ったチョウの説明をしてやったら、喜んだ。すばらしいチョウの写真を撮っているのに、名前が分からないのでは意味がない。

孫は、その意味では虫に触れても細かく分類できるレベルには至っていない、経験だけが栄養なのだ。どこで何を見た、取った(採った)、などということは部分的に記憶していても、対話できるほどではないだろう。

ところが――、たかをくくってはいけないことが分かった。たまたま車中でキノコの話をしたら、反応した。キノコのあった場所に近づいたら「キノコをいっぱい見たよ」という。車を止めて確認する。その残骸があった。

なんだろう、幼児の、この動物的な記憶力は。石森山行が続く限りはこうしてその場所に来るとよみがえり、石森山と断絶すれば記憶は閉ざされる、そういうものなのだろうか。親子三代の石森山行で、あらためて人間の記憶力について考えさせられた。

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