2011年7月20日水曜日

高蔵寺ライブ


「なこそ復興ライブ」が日曜日(7月17日)の夜、いわき市高倉町の高蔵寺本堂で開かれた。沖縄の歌手古謝美佐子さんが出演した。「なこそ復興プロジェクト」が主催した。

「勿来地区災害ボランティアセンター」の運営に参加したスタッフ有志が、センター閉所後、被災地域の復興と地域住民への物資・情報の提供など、継続した支援を展開するため、「復興プロジェクト」を結成した。6月から活動している。

プロジェクトは①復興計画=各種イベントの企画実施②地域支援=津波被害地区住民への専門家の紹介③生活対応=生活弱者や避難者への物資・情報提供④風評被害対策=専門機関と連携した放射線測定・公表とネットワークを生かした定期的な販売――の四つのクループからなる。復興ライブは①のグループが企画した。

災害ボラセン以来のつながりである、NGOのシャプラニールのスタッフがチケットを持って来た。「買ってください」ということだ。晩酌を我慢して出かけた。

本土復帰前の1970年師走、親友と3週間にわたって沖縄本島を旅して回った。半分は行き当たりばったりの“民泊”頼み(カネがなくなったので)。コザ市(現沖縄市)から那覇市へ移動した晩、「コザ騒動」がおきた。以来、沖縄人の親切と心の痛み・怒りがわが胸底に残響するようになった。

沖縄音楽は西洋音階でいう「レ・ラ」抜き。三線で哀切に、陽気に、独特のメロディーが演奏される。ニイニイゼミが鳴き、ヒグラシが遠く聞こえるなか、古謝さんは沖縄民謡のほかに、アイルランド民謡「ポメロイの山々」などもウチナーグチ(沖縄口)で歌った。

基地の島・オキナワの歌声が、原発震災の地・フクシマの人間の耳にひとときのやすらぎを与えた。沖縄の人たちは震災直後、「東北が大変なことになっている!」と、わがことのように深く悲しんだという。その話を聞いただけでも、沖縄の心がわかる。40年以上も前の親切がよみがえる。

「勿来地区災害ボランティアセンター」の舘敬代表が引き続き、「なこそ復興プロジェクト」の代表を務めている。ライブが終わって人が帰るころ=写真、高蔵寺の木村住職と顔を合わせた。2人で話しているところに舘代表がやって来て、手を差し出した。

私が勿来で仕事をしていた30代の3年間、ともに勿来JCで活動した間柄だ。平から来てくれてありがとう、という意味の握手だったろう。私のできる“支援”とはそんなものだ。

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