2016年2月26日金曜日

シリアの今

まずは2008年の拙ブログ(8月12日付)を再掲する。東日本大震災もシリア内戦もおきていない。ごくごく平穏な日々だった。
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シリアの「アレッポの石鹸」=写真=で洗髪するようになってから、だいぶたつ。それまでは液体シャンプーで髪の毛を洗っていた。毎日洗うほど潔癖ではない。何日かおくと頭皮がかゆくなる。それが洗髪の目安。あまりにかゆくて洗髪前にごしごしやると、ふけがこぼれ落ちる。なんとかかゆみとふけを抑えられないものか。

 そんなとき、アレッポのオリーブ石鹸に出合った。オリーブオイルとローレル(月桂樹)オイルのほかは、水と苛性ソーダを加えただけで3昼夜釜たきし、ゆっくり時間をかけて熟成させたものだという。添加剤や合成香料は一切入っていない。これが肌に合ったのだろう。オリーブ石鹸を使いだしたら、かゆみが消えた。ふけも出ない。シャンプーを使っていたときと同じくらいの日数で頭を洗っているのに。

 先日、頭を刈ってもらった。シャンプーで洗髪された。次の日にはもう頭がかゆくなった。薄くなったわが頭には工業的に生産されるシャンプーその他が合わないらしい。

 8月3日にいわき市暮らしの伝承郷でいわき地域学會主催の「いわき学・じゃんがら体験プロジェクト」が開かれた。ちょうど実習の時間に、小名浜港で港づくりを学ぶ外国の「港湾開発・計画研修員」が伝承郷の見学に訪れた。ついでだから「じゃんがら」を見てもらった。

 なかにシリアからやって来た研修員がいる。ハワイアンズで開かれた歓迎会で謝辞に立ち、「草野心平のカエルの詩を学校で学んだ」と言ったそうだ。草野心平記念文学館の学芸員によれば、心平の詩はアラビア語には翻訳されていない。英語の翻訳詩だったのだろう。

 歓迎事業に動員されたカミサンに伝承郷で彼を紹介されたとき、「心平のカエエルの詩」と「アレッポの石鹸」でエールを交換した。後日、まだ研修で日本にいる彼にカミサンが草野心平の本を送ったら、シリア観光省のパンフレットと、たどたどしい日本語で「もてなしをありがとう あなた(むろんカミサン)のことを忘れません」という直筆の便箋が届いた。

 シリアは地中海の東端にある。その古い港湾都市が彼のまち、ラタキヤ。アレッポはそこから北東の内陸部にある。首都のダマスカス、アレッポ、ラタキヤに国際空港があるというから、アレッポもラタキヤも、シリアでは「三都物語」になるくらいの中核都市なのだろう。

「アレッポの石鹸」と「カエルの詩」が全く知らなかった「魅惑のシリア」へ誘う。パンフレットを見れば、確かに魅力的な国ではある。

 さて、再び「アレッポの石鹸」である。この石鹸は使ったあとの潤い感がいい。実際、汚れを落としつつも脂肪酸を補うので、洗い上がりの肌になめらかな潤いを残すそうだ。体験者の一人として、ふけ症・禿頭のご仁は一度お試しあれ、と言いたい。
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それから7年半後――。きのう(2月25日)の「あさイチ」で、内戦下にある「シリアの今」を知った。番組では、日本でアレッポの石鹸を使っている人や刺繍で生計を立てている難民などが取り上げられた。

20年余、この石鹸を使っているので、買い置きが少なくなると、行きつけの店でまとめ買いをする。シリア内戦が始まり、世界遺産の街アレッポに戦火が拡大した3年半前には、胸が痛んだ。ひとの命はもちろんだが、石鹸工場は無事だろうか――。その後、アレッポの石鹸は入荷量が減り、値段も少し上がった。

 内戦であれ戦争であれ、犠牲になるのは常に庶民だ。シリアでは「国外に逃れられた人々はまだいい方で、国内で居場所を奪われた国内難民は、760万人にも上る。国外、国内を合わせると、シリアで難民化している人たちは、人口の半数を超える」(酒井啓子『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』みすず書房)

シリアの人口は2200万人。国内難民のほかに、国外難民は400万人に上るという。難民計1160万人。「この事態は、第二次世界大戦以来の危機的状況だと言われている」(酒井)

シリアで騒乱が始まったのは2011年1月。その1カ月半後に、日本で大地震と大津波、原発事故がおきた。十数万人という原発難民が発生した。

いわき市は相双地区からの避難民を受け入れるホームコミュニティになった。中近東や欧州にもシリア難民を受け入れるホームコミュニティがある。地元民とのあつれきは、融和策は……。このごろは、そうした視点でシリア難民のニュースを見る。港湾研修でいわきへやって来たシリアの青年は今、どうしているだろう。

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