2016年2月27日土曜日

「ぶらっと」の仲間

 東日本大震災から半年後、国際NGOの「シャプラニール=市民による海外協力の会」が、いわき駅前再開発ビル「ラトブ」に地震・津波被災者、原発避難者のための交流スペース「ぶらっと」を開設した。その半年後にはイトーヨーカドー平店に移転した。
 この間、シャプラの職員、現地採用スタッフとボランティア、利用者が「ぶらっと」で交流した。今はティーワンビル斜め前のスカイストアに入居している。3月11日の翌12日・土曜日、「ぶらっと」は閉鎖される。(今、気づいたが、3月のカレンダーは5年前のそれと同じだ)

 バングラデシュやネパール、インドなど南アジアで「取り残された人々」の支援活動を展開しているシャプラは、みぞうの原発震災を受けて初めて国内支援に入った。いわきを拠点に活動を続けて5年。震災前からシャプラを知る人間としては、もう十分、ありがとう、あとは本来の仕事にエネルギーを集中して――そんな思いでいる。
 
 おととい(2月25日)、「ぶらっと」の元スタッフやボランティア仲間が集まってささやかな食事会が開かれた。ボランティアのTさんがご主人の仕事の関係で中国へ移住した。いわきへ里帰りするたびに10人前後が集まる。

 浪江町から避難して、いわきで働いているNさんが店を予約した。初めて会ったときには小学生だった娘さんは、広野町に開校した高校の1期生。電車で通っている。で、学校の帰りにいわき駅前のその店で合流した。制服にみんなの目が集まった。

 富岡町のYさんは、「ぶらっと」のボランティアを経て同町の交流サロンで働いている。常磐に家を建てたという。つらいことはおくびにも出さず、いつも相手に「ありがとう」という。双葉町から避難した元スタッフRちゃんはいわきの青年と結婚して母親になった。人形のようにかわいい。「整形したの?」とよく聞かれるそうだが、地顔だ。
 
 ほかに、元スタッフ(フラダンスと司会のプロ)、ボランティア(ピアノ教室のおばさん先生)、私ら夫婦。交流スペースの情報紙「ぶらっと通信」もみんなが協力して発行した。
 
 5年前、4歳だったTさんの愛娘は今、小学3年生。中国のインターナショナルスクールに通っている。英語のほかに、中国語も学ぶ。昔、「唐詩選」を原音で読みたくて、いわきの中国語教室で1年ほど勉強したことがある。おちびちゃんの発音を聞いたら、ちゃんと「四声(しせい)」(アクセント)ができている。子どもの適応力はすごい。
 
 そのおちびちゃんが、さっさっさっとみんなの似顔絵をかいた。私とカミサンも思い切りデフォルメされて、小学生並みのかわいい人間にえがかれた=写真。ハンチングの帽子が一見、長髪に見えるところが気に入った。

 食事会の翌日(きのう)には、シャプラから3月14日にティーワンビルのいわきワシントンホテル椿山荘で「感謝を伝える会」を開く、という知らせが届いた。活動を支えてくれた人々に感謝の気持ちを伝えるのが目的だが、ほんとうはこちらがシャプラに感謝を伝えたいくらいだ。最も困難に直面していたとき、シャプラが現れた――それを思いだすたびにこみあげるものがある。

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