2026年4月9日木曜日

門柱の裏側

                              
   篤志家箱崎昇吾翁の親戚だという。後輩のいとこで、埼玉県草加市に住んでいる。わが家の近所に実家がある。翁のことを書いた拙ブログを読み、あいさつと情報提供を兼ねてやって来た。

 専称寺(平)の末寺の大円寺(翁の菩提寺)と、江戸時代、専称寺で修行し、のちに江戸へ出て俳僧として鳴らした一具庵一具(1781~1853年)の話になった。

 まずは翁の善行のおさらい。翁は昭和8(1933)年国鉄を退職すると、退職金をはたいて専称寺入り口の愛谷江筋にコンクリートの太鼓橋を架け、大円寺に石門、立鉾鹿島、出羽両神社に石の鳥居を寄進した。

 さらに同8年から専称寺の境内に梅の苗木を植え続け、足かけ27年をかけて同34年、悲願の1千本を達成した。

 太鼓橋の欄干には俳句が彫られてある。「佛德(ぶっとく)へ普(あまね)く渡れ浄土橋」。句のわきには小さく「昇吾」とあって、翁は俳句をたしなんだことがうかがえた。

 後輩のいとこからは、さらにびっくりする情報を得た。大円寺の門柱の裏に短歌が彫られているのだという。

 スマホに保存されている写真を見せられた。確かに短歌らしい文字が写っている。なんと書いてあるかはわからない。「字はよく見えないんですよ」。それでも、影をうまく入れて字が見えるように撮ってある。

前に見たとき、向かって左側にある門柱の裏側に、寄進者の名前(翁夫妻)が彫られてあるのがかろうじてわかった。

しかし、反対側の門柱の裏側にある短歌には気づかなかった。字がわかるのは、朝日か夕日が当たって凹面に影ができたときだろう。

専称寺の太鼓橋がそうだった。2月下旬、9時ごろに行くと朝日が斜めに当たり、凹面に影ができていた。それで字がはっきり見えた。

春分の日の前日、墓参りの人が散見される中、大円寺の門柱を見に行った=写真。向かって左側の門柱の裏側には、なるほど何やら文字が彫られている。これが短歌だろう。しかし、字はさっぱりわからない。材質は白御影石(花崗岩)らしい。

太陽がもっと北に移る夏場、朝か夕方、凹面に影ができるかどうか。むろん、それで字が見えるという保証はない。拓本にとるという手もあるが、その技術は持ち合わせていない。

とりあえず門柱の裏側を撮影し、データをパソコンに取り込んで「明るさ・シャドー・ブラックポイント・彩度・色温度」などで修正を加えてみたが、字が浮き出ることはなかった。今のところ、お手上げである。

そこに短歌が彫られていたとしたら、いよいよ翁の内面の一端が見えてくる。市井(しせい)の一生活者がそこまで執念を燃やしたわけがわかるかもしれない。つくづく人間はすごいと思う。

※追記=4月8日の夕方、門柱を見に行った。向かって左側の門柱の裏を見ると、凹面の文字に影ができていた。すべて読み取れるわけではないが、短歌らしい配置になっていることはわかった。短歌の読み解きができたらまた報告したい。

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