2008年7月7日月曜日

クズは米国では侵略的外来生物


いわき総合図書館放出のリサイクル雑誌、「ナショナルジオグラフィック」2005年3月号をパラパラやっていたら、特集「侵略しつづける外来生物」が目に止まった。その<米国編>中の「緑の洪水」と題した見開き写真=写真=に、こんな絵解きがかぶさっていた。

「米国ジョージア州の自宅で、車を覆い尽くす勢いで繁茂したクズの蔓(つる)を取り払うジェイソン・ミルサップス。クズは、1800年代末に土壌の流出防止用と家畜の飼料用に日本から輸入され、米国の60万ヘクタール以上の土地に広がった。『1日に30センチも伸びる。終わりなき闘いです』と、ジェイソンの母親は話す」

クズは、日本人には普通のつる性植物。そして、米国はかつてそれを必要としたことがあるので、「あれっ」と思った。

世界大恐慌のあと、アメリカはルーズベルト大統領になり、「ニューディール政策」が展開される。最大の事業が「テネシー河谷開発」(TVA)だ。ダム堰堤の土砂流出を防ぐためにクズが植えられたのを、昔、本で知った。そうしたことが、今では裏目に出ているというわけだ。奄美大島のマングースと同じではないか。

TVAは日本の国土総合開発の見本になった。「草の根民主主義」はTVAから生まれた。クズも随分貢献したものだ――と、ずっと思っていたが、現実は違っていた。

米国南部はクズの生育に適していた。想像以上の繁茂・拡散をとげたばかりに、有害植物・侵略的外来種に指定されたという。

クズの「繁茂・拡散」は、日本人には当たり前のことだから、夏はほかの草と一緒に刈り払う。手を抜こうものなら電信柱のてっぺんまで、クズの葉に覆われる。「ナショナルジオグラフィック」の写真は、夏草刈りをする日本のムラの慣習からみると、放置しすぎの状態。よくそこまでほったらかしたものだ――となるのだが。

2008年7月6日日曜日

「人名事典」にも間違いがある


2005年9月22日に満78歳で亡くなった、いわき市の作家草野比佐男さんの本を集中的に読み返している=写真。「農家林家」としては暮らしが立ちゆかなくなった昭和40年代半ば、転職を考えた草野さんは一度、阿武隈山中の自宅から平の街へ出かけて興信所の面接を受ける。

採用が決まると、しかしその場で就職を断る挙に出た。「田畑か収入かの二者択一」が胸の中に沸き起こり、「田畑」を選んだのだ。以来、貧窮の底に沈もうともむらに立てこもることを決意し、出稼ぎ・転職が当たり前になったむらのありようを、悪政を、農民の変質を告発する文章を書き続けた。

草野さんといえば、ロングセラーの詩集『村の女は眠れない』だろう。4年前には『定本 村の女は眠れない』が出た。

定本のあとがきによれば、『村の女は眠れない』は最初(1972年)、たいまつ社から出た。次に74年、光和堂が発行元になる。そして2004年、梨の木舎から定本が刊行された。

たいまつ社版と光和堂版では内容にかなりの取捨や入れ替えがある。定本は「光和堂版とほとんど同じだが、一編まるごと、また部分的削除と書き直し、字句の訂正、たいまつ社版からの追加、未収録作品の追加などを行い、配列の順序も多少変えた」(あとがき)。同じ詩集『村の女は眠れない』でも、版を変えるごとに手を入れている、その執念はなかなかのものだ。

ついでに、こんなことも明かしている。講談社日本人名大辞典「(昭和)47年刊行の『村の女は眠れない』はテレビで放映された」(たいまつ社版に依拠)、現代日本朝日人物事典「1974(昭和49)年に発表した詩集『村の女は眠れない』は、(中略)NHKから放送されて反響を呼んだ」(光和堂版に依拠)とあるが、事実は逆。

正しくは「書名と同題の一編が読まれたドキュメンタリー番組の評判によって、図らずも(詩集が)世に出た」。人名事典にも間違いがあるから、鵜呑みにはできない。

2008年7月5日土曜日

石森山のヒラタケ


このところ、1カ月に一度は平市街地の裏山・石森山へ行く。フラワーセンターへ直行する西側の道ではなく、草野方面から絹谷を経て山に入る東側の林道を利用する。そっちの方が家から近いのだ。

かつて1年に50日以上は通った経験から、キノコの出る時期がくると勝手に記憶がよみがえる。そうなるともう、いても立ってもいられない。昨朝(7月4日)も雨上がり、ヒラタケの映像が頭の中にちらつき出したから、平の街へ行く前に、30分ほど石森山を歩くことにした。

絹谷から入り、途中で車を止め、山の方へと続く遊歩道を探索する。目当てはヒラタケと梅雨キノコ。奥へ進むと、立ち枯れの木にピークの過ぎたヒラタケが数個、うなだれるようにして生えていた。別の木にはしっかりしたヒラタケがあった=写真=が、手が届かない。カメラを向けるだけにする。

ヒラタケ・アラゲキクラゲ・エノキタケの菌糸が共存するアカメガシワの木は、幹の途中からノコで切り落とされていた。誰かキノコを採りにのぼって幹が折れたりでもしたらコトだ――というわけで、「危険な芽」を摘んだものか。そんなのは自己責任だと思っている私は、“定点観測木”の切断にいささかムッときた。

同じ道を戻る途中、杉林に続く土手が少し崩れているのに気づいた。イノシシが下りて来たか、上って行ったかした跡だ。その辺りではいつもこうした「イノシシ道」が見られる。

そういえば、7月ももう4日。ニイニイゼミが鳴き出してもおかしくない。羽化したばかりのオニヤンマらしきものが頭上高くパタパタやりながら上昇していくのを見て、セミの映像が頭に浮かんだ。絹谷の里ではクリの花が咲いていた。

2008年7月4日金曜日

「三春ネギ」の種子確保


夏井川渓谷(いわき市小川町上小川字牛小川)の小集落では、ネギは自家採種をしたのを栽培している。いわき市に隣接する田村郡(夏井川の上流~水源地帯)から伝わってきたらしく、地元の人は「三春ネギ」と呼び習わしている。地ネギである。

私も10年ほど前、集落のSさんに苗をもらって栽培を始めた。2、3年は自家採種に失敗したが、冷蔵庫に冷暗保存をするやり方を覚えてから、秋に種子をまくとちゃんと発芽するようになった。

今年はネギ坊主が未熟なまま枯れたので、秋にまく種子がない。何年か前にも同じようなことが起きた。原因はネギに対する愛情不足、というよりは過保護だった。

冬は寒いだろうと掘り起こして、北風除けの細工をしたところへ移し替えたら、かえっておかしくなったらしい。冬には地上部が枯れる品種なのに、枯れないように手をかけたのが裏目に出たのだ。

今年定植したネギ苗のうち何本かを残せば、来年の6月にはネギ坊主ができる。それから種子を採ればいいのだが、今年の秋にまく種子がないのはなんとしても悔しい。

Sさんの奥さんに「ネギ坊主が余っていたらもらえないだろうか」と言ったら、「種子を採っておくから」という。その種子を先日、奥さんがわが週末の埴生の宿「無量庵」へ持って来てくれた。花茎が倒れてネギ坊主が土をかぶったために、土も一緒、ごみも一緒だ。それで支障はない。

平に住む篤農家のSさんから種子をきれいにする方法を聞いているので、自宅へ種子を持ち帰って、早速、それを実行する。

まずボウルに金ザルを重ね、ごみや土と一緒にネギの種子をザルにあける。そこへ水をたっぷり張ると土はボウルの底に沈み、種子はザルの底に残る。中身のない種子は軽いので浮いてくる。その種子は発芽しないから、容赦なくごみと一緒に捨てる。

あとは新聞紙に濡れた種子を広げ、一晩軒下に置く。朝にはサラサラに乾いている=写真。次にするのは、乾いた種子を乾燥剤と共に空き缶か空き瓶に入れて、秋の種まき時期まで冷蔵庫にしまっておくことだ。

昔ながらの農家と違って、プレハブと似たような家では、夏場はかなり室温が高くなる。ネギの種子は高温と湿気に弱い。だから乾燥剤を入れて冷蔵庫へ、というわけだ。

そこまで終えると、これでひとまず「三春ネギ」のいのちを切らさずにすんだ、という安心感が広がる。「三春ネギ」の黒い種子は、私にとっては農家の種モミのようなものだ。主(水稲)と副(野菜)の違いは、もちろんあるが。

2008年7月3日木曜日

キジを撮る


平の街の行き帰りに夏井川の堤防を利用する。車にはデジカメと400ミリの望遠レンズ。チョウゲンボウが橋げたに止まっていたり、キジが河川敷にいたりすると、すぐ車を止めて被写体にカメラを向ける。

人馴れした残留コハクチョウはともかく、チョウゲンボウもキジも人間の姿を見ようものなら、たちまち飛び去る。仕方ないから運転席の窓を開けて、体をねじるようにしてシャッターを切る。だいたいが手ぶれを起こしているので、使い物にならない。

チョウゲンボウはそうやって4、5回、キジは十数回、今までにカメラを向ける機会があった。車のドアを開けようと視線をそらした瞬間、被写体の姿が消えていたことがある。あまりに間近すぎて慌てたために、レンズの交換が間に合わなかったこともある。

たまたま望遠レンズを装着しているときは、被写体が姿を見せない。先日、それがぴたりとはまった。

街からの帰路、堤防の上を走っていると、河川敷の畑の棚の上にオスのキジが休んでいた。車からの距離はざっと15メートル。窓を開けて望遠レンズを向けると、なんとか分かる大きさで画面に納まる。一気にシャッターを押した。

今は関西にいる「かずまさ」クンのブログ「かずまさのデジスコの世界」に登場するような鮮明な鳥の写真は無理だが、この欄ならなんとか使えそうなものが2コマあった。しかし、手ぶれには変わりがない。

車の窓を三脚代わりに使えばよかったのに、チャンスとみて少し興奮したのがまずかった。冷静に対処していれば、もっとましな写真が撮れたはず――。パソコンに写真を取り込みながら、そんなことを思った。

で、またチャンスを待った。7月1日の朝、いつものように車で堤防の上を走っていると、オスのキジが土手にいた。今度は心静かに望遠レンズを装着し、車をバックさせ、そっと窓を開けてカメラを向ける。前回からは6日ぶり、キジの写真を狙い始めてからだと半年あまりかかって、ようやく「この程度ならいいか」という写真が撮れた=写真。

2008年7月2日水曜日

リサイクル雑誌入手


いわき駅前再開発ビル「ラトブ」の4、5階に入居しているいわき総合図書館は、正月2、3日の休館日を除くと、休みは毎月、月末の月曜日1回だけ。6月は30日がちょうどその日だった。

翌火曜日は7月1日。1年の半分が終わり、マラソンで言えば折り返し地点にきた。胸の内でわが半年を振り返りながら、開館直後の5階へ本を返しに行った。と、入り口の前に人だかりができている。

エレベーターとエスカレーターから図書館入り口へと続く通路の壁面に沿って、リサイクル雑誌がずらりと並んでいた。それを目当てに人がやって来たのだ。早い人はもう束になった雑誌をバッグにしまいこんでいる。

入り口に見知った職員がいたので聴いた。
「だれでもいいの?」
「どうぞ、どうぞ」
「よし」
「早く、早く」
本を返してすぐ人垣に加わった。

2005年の「ナショナルジオグラフィック」誌と去年の「スポーツイラスレイテッド」誌を手に入れた=写真。「ナショナルジオグラフィック」誌は以前、定期購読をしていたので「しめた!」である。「スポーツイラストレイテッド」誌は、日本語版はないからもちろん英語。一瞬ためらったが、誌面をめくるだけでも楽しいだろう、と手が出た。

わが家へ帰ってカミサンに言うと、「婦人雑誌はどうだった、あった?」と聴く。そんなところまで気が回らないから「知らない」と言うと、たたみかけてきた。「もう一度見て、あったら持って来て」「ハイハイ、分かりました」となったものの、目当ての婦人雑誌はなかった。あったら、いの一番に消えているに違いない。

前は本もリサイクルに回されたが、総合図書館ができてからは方針が変わったのか、雑誌だけになった。蔵書39万冊でスタートし、将来100万冊を目標にしているのだから、当分放出するわけにはいかないのだろう。

値上げ、値上げの7月1日。ちょっとした古書市気分をタダで楽しめるイベントではあった。そのあと、自動貸出機が一時故障したから図書館職員はあおざめただろうが。

2008年7月1日火曜日

落石で立ち入り禁止に


夏井川渓谷の小集落、いわき市小川町上小川字牛小川の対岸は三和町。深い山を越えて下れば下永井字軽井沢の集落だ。対岸へ渡るには夏井川第二発電所のつり橋を利用する。水量が少なければ、岩がゴロゴロしている渓流を渡渉することもできる。

対岸には水力発電用の導水路があって、遊歩道を兼ねた巡視路が川に沿って延びている。私はときどき、この道沿いに続く渓谷林を奥まで行ってみる。一帯は「阿武隈高地森林生物遺伝資源保存林」に指定されているから、むやみに山の方へは入り込まない。

土壌が少なく岩盤が露出している厳しい環境だけに、渓谷林ではアカヤシオやシロヤシオといったツツジ類のほか、モミと松などの常緑針葉樹が目立つ。アカマツはほぼ松食い虫にやられた。岩盤は今もときどき崩落している。落石が巡視路に散乱しているので、それと分かる。

数年前、知人夫婦が牛小川の無量庵へ遊びに来たとき、対岸から大轟音がとどろいた。木々もワサワサ揺れるのが見えた。落石だった。夏井川に注ぐ「木守(きもり)の滝」の手前が、その現場。30センチ大の石が4、5個、巡視路に散乱していた。戦闘機の爆音と間違えるほどの轟音に、近所のおばさんも「ナニゴト?」と家を飛び出してきた。

それと同じ場所でまた落石があった。久しぶりに対岸を歩こうとしたら、すぐ立ち入り禁止のロープに遮られた。畳半畳くらいの三角形に近い石からその半分くらいの石まで、何個かがロープの先の道をふさいでいる=写真。私が見知ったなかでは一番大きな落石だ。斜面のモミの樹皮もその衝撃でべろりとはがれていた。その場所を、これから「崩れ」と呼ぶことにしよう。

「崩れ」には剥離・崩落した岩盤のかけらがゴロゴロしていて、モミなどの幹に支えられてはいるものの「浮石」状態になっている。そのため、森の奥へと足を踏み入れるときには、私は必ず「崩れ」の斜面を見上げながら素早く通り過ぎる。これまではたまたま静止状態だっただけ、ということが今度の落石でも分かった。

街を歩いているような、のんびりした感覚では、この巡視路は歩けない。いのちの危険に直面しているのだという認識、とっさの危機回避能力、すなわち野性をよみがえらせておかないとけがをする。

この程度の落石でも人間を震撼させずにはおかないのだから、「岩手・宮城内陸地震」で起きた山崩れや土石流は想像を絶するほど強大・凶暴なものだったに違いない。夏井川渓谷といえども絶えず死の危険がひそんでいる。そのことを行楽客も肝に銘じておいてほしいのだが、やはりどこかに街歩きの気楽さが漂う。「崩れ」の近くに注意喚起の標識が必要だ。