2015年4月1日水曜日

ゴリラの涙

 夏井川渓谷といえば、春のアカヤシオ(イワツツジ)と秋の紅葉だ。いわきの平地でソメイヨシノが開花するころ、渓谷でもアカヤシオの花が咲きだす。きのう(3月31日)の陽気で開化したものがあるかもしれない。
 渓谷のどまんなか、牛小川の集落で支流の中川が本流に合流する。中川は、いわき市川前町の神楽山(かぐらやま=808メートル)から発する。滝の連続する短い流路だが、合流地点から少し上流に「天狗の重ね石」がある。

 いかにも天狗か巨人がひょいひょい石を重ねてつくったような奇観の断崖だ。谷を刻む流れはここで鋭くヘアピン状に屈曲する。断崖は、真横から見ればあいきょうたっぷりのゴリラの横顔、真正面から見ると船のへさきのように薄い。岩盤剥離(はくり)も進行している。
 
 1年にいっぺんはゴリラに会いに行く。7年前の写真や4年前の写真と比べると、やはり少しずつ変化している。

 大震災ではまぶたの下の岩がはがれて、そこだけ赤茶けた色を外気にさらしていた。4年たっても“赤ちゃん肌”のままだ。そばに生えていた松とツツジらしい幼樹は姿を消した。人間のすり傷はやがてかさぶたができて、元通りになる。が、岩のゴリラの傷はそのままだ。(夜になると痛くて涙を流しているのかな)

 おおむね花崗岩でできている夏井川渓谷は、日々、落石が発生している。中川渓谷も同様だ。3・11では渓谷の至る所で落石が起きた。それもまた、自然史のひとこまではある。
 
 きょうから新年度、そして「ふくしまデスティネーションキャンペーン〉初日だ。「天狗の重ね石」は、わが隠居のある夏井川渓谷の牛小川では、年間を通してPRしたい絶景のひとつだ。

2015年3月31日火曜日

仙台平のハングライダー

 夏井川は、阿武隈の最高峰・大滝根山(1193メートル)の南斜面が水源だ。田村市滝根町からいわき市の新舞子海岸(太平洋)まで67キロ。高地の水田の間を細々と流れ、やがて谷を刻み、いわき市の北部を潤す。
 大滝根山に降った雨は伏流水となり、西側で入水(いりみず)鍾乳洞やあぶくま洞をつくった。その鍾乳洞の間にカルスト地形の仙台平(せんだいひら=870メートル)が横たわる。

 ある年の正月、JR磐越東線に並走する県道から異様な光景を見た。上空をずいぶんトビが舞っているなと思ったら、ハングライダーだった。仙台平の頂上にハングライダーの離陸場がある。その年の“初飛び”を楽しんでいたのだろう。

 先日、田村市常葉町からいわき市へ帰る途中、菅谷駅付近でハングライダーが視界に入った。車を止める場所を探しているうちに、家並みの陰に消え、枯れ田に着陸した=写真。滝根町で、しかもパラグライダーではなくハングライダーを見るのは久しぶりだった。仙台平の頂上からはざっと1キロ。そこが着地ポイントらしい。

 田村市船引町の片曽根山(別名・田村富士=719メートル)にもハングライダーの離陸場がある。田村富士の愛称が示すように独立峰だ。頂上まで車で行くことができる。仙台平も同じだ。行きやすさも離陸場向きなのだろう。

 3・11前から行われていたことが、3・11後も継続している。変わらずにある安心感のようなものが胸中に広がった。

2015年3月30日月曜日

猫の死

 10日前の彼岸の中日、夕方。南阿武隈をグルッと回って来たら、カミサンが沈んだ声で言った。「30分前にレンが死んだの」。レンは猫。タオルにくるまれていた。「まだ温かい」というが、さわる気にはなれなかった。
 震災時、わが家には3匹の老猫がいた。老衰のために後ろ足を引きずり、排便もきちんとできなかった「チャー」が急によみがえった。猫の身に奇跡が起きた。自分で歩いて、排便もできるようになった。その神通力もおよそ1年で尽きた。

 夏井川渓谷の隠居(無量庵)へ運び、庭の隅に埋めて葬式をした。隠居では毎夏、長男が学生仲間と合宿する。16年前、八王子で拾ったチャーを連れて来た。チャーにとっては初めてのいわきの地だ。奇跡の猫、ここに眠る――という墓標を胸に立てた。

「レン」も十数年前、長男か次男か、どちらかが拾ってきた。始末の悪い猫だった。あちこちに縄張りのしるしをつける。茶の間のガラス戸をしょっちゅう開けて出入りする。「なんで猫は戸を閉めないんだ」。真冬は寒気が入り込むので、いちいち閉めながら腹が立った。

「チャー」と同じように、隠居の庭に埋めた。死んだら「生ごみ」と同じ、堆肥にしよう――なんて言ったら(「チャー」のときもそうだったが)、猛烈に抗議された。「あんたも死んだらそうしてやる」。というわけで、穴を掘って埋め、カミサンが持ってきた花を手向けた=写真。

 何はともあれ、震災を共に体験した「家族」にはちがいない。私は「ペットロス」にはならないが、なる人間もいるらしい。穴を掘って石を載せ、花を手向けると、すこし厳粛な気持ちになった。

2015年3月29日日曜日

すぐそこにあった雪

 3月も残すところあと2日。1週間前に、太平洋側のわが家から阿武隈の山の向こうの実家へと、反時計回りに150キロほどを巡った。10年近く前までは1月初めに出かけたが、パジェロからフィットに替えてからは、雪の心配のない春以降に訪ねるようにしている。

 常磐道を北上し、国道288号を西に向かって駆け上がり、JR磐越東線沿いの県道を戻ってきた。翌日は午前中、その県道を駆け上がり、夏井川渓谷(牛小川)の隠居で過ごした。左岸支流の中川渓谷に沿う広域基幹林道上高部線を、牛小川から一つ先の集落(外門=ともん)までドライブした。北向きの道端に2カ所、残雪のかたまりがあった=写真。

 前日の“南阿武隈一周ドライブ”では、2カ所で残雪を見た。大熊町から田村市に入ったあと、旧都路村と常葉町の境の長い峠にさしかかったとき、南に山を抱いた枯れ田に一部、雪が残っていた。最近降った雪の名残だろう。もう1カ所は、阿武隈の最高峰・大滝根山(1193メートル)だ。北西斜面がうっすら白くなっていた。こちらも最近降った雪のようだった。

 中川渓谷の残雪は隠居から車で5分という至近の距離にあった。「光の春」のなかで「寒さの冬」がもがいていた。おととい(3月27日)、きのうと気温が上がったから、それももう消えたのではないか。

 支流の渓谷へは、春を探しに行った。マンサクが満開だった。ヤシャブシも花穂(かすい)を垂れはじめていた。送電鉄塔が頭上を横切っていた。近くの路肩に東京電力の標識杭があった。1F(いちえふ=大熊・双葉町)と2F(楢葉・富岡町)からの系統であることが、あとで電子地図をたどってわかった。
 
 常磐道の常磐富岡IC近くに両原発とつながる「新福島変電所」がある。そこから南下して、いわき市三和町の「新いわき開閉所」に送電線が延びる。その変電所からの1系統が中川渓谷の上を通っていた。
 
 今はどうか、送電線は使われているのか。福島県知事が昨秋、経産大臣に緊急提言をした受け売りだが、今度は福島のために、再生可能エネルギー普及のためにがんばってほしいものだ。「立ち枯れ」ではもったいない。

2015年3月28日土曜日

阿武隈のヤナギ

 3月21、22日、そしてきのう27日と、快晴・無風の春めいた日になった。けさも晴れていい天気だ。きのう、いわき市平の市街を通ったら、ハクモクレンが満開だった。平・塩の夏井川のハクチョウも姿を消した。
 1週間前、阿武隈の山の向こうの田村市常葉町の実家へ帰った。ちょうど弟夫婦もやって来た。床屋をやっている兄夫婦に代わって、3人で墓参りをした。午後には夏井川を下って帰宅した。久しぶりにふるさとの景色を目に焼きつけた。

 実家の裏庭に、私と同じくらいの高さのヤナギがあった。挿し木で生長したのだろう。ネコヤナギかアカメヤナギかはよくわからない。ネコでもアカメでもいい。その花にミツバチが群がっていた=写真。セイヨウミツバチか、二ホンミツバチか。体の小ささからして二ホンだとは思うが、それもよくわからない。標高450メートル前後の高原の町にも春が近づいていた。

 写真を撮ってパソコンに取り込み、拡大したら、ヤナギの花穂(かすい)がきれいに映っていた。ミツバチもそんなにぼけてはいなかった。

 永幡嘉之さん(山形)の写真集に『原発事故で、生きものたちに何がおこったか。』(岩崎書店、2015年2月刊)がある。毎年、阿武隈高地(本では「阿武隈山地」)で昆虫の調査を続けていた写真家が、人のいなくなった相双地区、津波跡の海岸の生きものたち、なかでも虫たちを追った記録だ。大津波と原発事故の影響を受けた地域の現状が生きものを通してわかる。

 NHKの<東北Z>のように、阿武隈の生きものたちの影響を追った番組は見る。本も読む。そうしたなかで目にした好著であり、春のヤナギとミツバチだ。
 
 阿武隈を深く、広く、そして原発事故後は新しく知る――原発事故の前は、まるで置いてきぼりにされたような阿武隈だったが、今や人類史、自然史の最先端だ。阿武隈についてのさまざまな知見が得られつつある。庭のヤナギとミツバチにも、放射線量の影響はあるのかないのか。そのくらいの意識は持てよ、と自分のなかの“阿武隈人”が叱咤するのだった。

2015年3月27日金曜日

「竹のクビリ」

 先日、震災後初めて大熊町の国道288号を通った。熊川水系の野上川渓谷に沿って田村市へと駆け上がる。分水嶺から一つ手前の峠が町と市の境になっている。境界を示す市と町の塔が向かい合っていた=写真。
 福島県を南北に縦断する阿武隈高地の東側は、川がV字谷をつくって太平洋へと一気に駆け下る。野上川渓谷も、わが隠居のあるいわき市夏井川渓谷同様、春の芽吹きと秋の紅葉が素晴らしいことだろう。

 大熊町の境界塔は、マスコットキャラクターの熊の「おおちゃん」と「くうちゃん」の兄弟を描いたものだ。兄がサケを、弟がナシとキウイフルーツらしいものが入った籠を手にしている。ナシが1個、籠からこぼれ落ちているところがかわいい。「フルーツの香り漂うロマンの里おおくま」という町のキャッチフレーズ板も付いている。

 手前に立つ標識は、その道路が国道288号であることを示している。数字の下、地名を表す補助標識に目を見張った。「大熊町/竹のクビリ」。くびり? くびれ? ネットで大熊町の地名をチェックしたが、よくわからなかった。大字は野上のようだが、小字にはしかし「竹のクビリ」は出てこない。通称地名か。

 大熊町の人に聞くのが一番だが、浜通りはいわきと同じく、どこの自治体でもハマ・マチ・ヤマの違いがあるのではないか。大熊のハマやマチから避難している人に、西の果ての山中の通称地名を尋ねてもたぶんわからないだろう。

 私は「ニーパーパー(288)」を通るだけの人間で、大熊には土地鑑がない。が、「竹のクビリ」はわが生まれ育った阿武隈の地名のひとつにはちがいない。いわき総合図書館へ行って『大熊町史』をめくったり、地名辞典に当たったりしながら、いつかは「?」を「!」にしたい。とにかく気になってしかたがなくなった。

2015年3月26日木曜日

サーファーと灯台

 連休初日の朝は阿武隈の峠を越えて墓参りをし、とんぼ帰りで夕方には豊間にいた。飲み会まで時間があったので、すぐそばの海岸堤防からぼんやり太平洋を眺めた。断崖の上に塩屋埼灯台が見える。おやっ、サーファーが歩いているぞ=写真。
 ここはほかの海岸同様、大地震で地盤が沈下し、大津波に襲われた。断崖の近くまで広がっていた集落が、あらかた消滅した。

 地盤が沈下した分も含めて、海岸堤防の補強・かさ上げ工事が行われている。堤防の内側には防災緑地ができる。西側の丘は高台移転の造成工事で丸坊主になった。土もかなり削りとられるようだ。

 いわきの海岸線は断崖と砂浜が交互に連なる。「いわき七浜」といわれるゆえんだ。豊間海岸の南端は合磯(かっつぉ=二見ヶ浦)。北の豊間と南の合磯に海水浴場があった。子どもが小学校に入ったばかりのころ、何家族か誘い合って合磯海水浴場を訪れた。ここの海を見ると決まって、下の子が磯でおぼれかけたのを思い出す。
 
 今は海水浴どころではない。原発事故の影響もあって、震災の年からここの海水浴場は閉鎖されたままだ。

 そうだ、震災から半年後、やはりこの海岸に立ったことがある。浅瀬に漁船が打ち上げられていた。白い車も屋根の部分だけを残して砂に埋まっていた。今はあとかたもない。堤防も壊れ、代わりに黒いフレコンバッグがずらりと並んでいた。

 かさ上げされた堤防、狭くなった砂浜、砂山に立つ重機……。そこへ突然、黒い人魚が海から這いあがって歩き始めた、そんな感じでサーファーが視界に入ってきた。殺風景な世界に一瞬、体温が宿った。