10日前の彼岸の中日、夕方。南阿武隈をグルッと回って来たら、カミサンが沈んだ声で言った。「30分前にレンが死んだの」。レンは猫。タオルにくるまれていた。「まだ温かい」というが、さわる気にはなれなかった。
震災時、わが家には3匹の老猫がいた。老衰のために後ろ足を引きずり、排便もきちんとできなかった「チャー」が急によみがえった。猫の身に奇跡が起きた。自分で歩いて、排便もできるようになった。その神通力もおよそ1年で尽きた。
夏井川渓谷の隠居(無量庵)へ運び、庭の隅に埋めて葬式をした。隠居では毎夏、長男が学生仲間と合宿する。16年前、八王子で拾ったチャーを連れて来た。チャーにとっては初めてのいわきの地だ。奇跡の猫、ここに眠る――という墓標を胸に立てた。
「レン」も十数年前、長男か次男か、どちらかが拾ってきた。始末の悪い猫だった。あちこちに縄張りのしるしをつける。茶の間のガラス戸をしょっちゅう開けて出入りする。「なんで猫は戸を閉めないんだ」。真冬は寒気が入り込むので、いちいち閉めながら腹が立った。
「チャー」と同じように、隠居の庭に埋めた。死んだら「生ごみ」と同じ、堆肥にしよう――なんて言ったら(「チャー」のときもそうだったが)、猛烈に抗議された。「あんたも死んだらそうしてやる」。というわけで、穴を掘って埋め、カミサンが持ってきた花を手向けた=写真。
何はともあれ、震災を共に体験した「家族」にはちがいない。私は「ペットロス」にはならないが、なる人間もいるらしい。穴を掘って石を載せ、花を手向けると、すこし厳粛な気持ちになった。
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