2009年3月4日水曜日

30年前の惨事


おととい(3月2日)、歩いてはあまり渡らない国道6号の横断歩道を利用して夏井川の堤防へ出た。信号機に取り付けてある押しボタンを押そうとしたら、付属物の取り付けバンドに花束が2つ差し込まれてある=写真。前はなかったから、最近、誰かが置いたのだ。この辺りで昔、交通死亡事故があったか。

散歩を終えて「旧国道」のわが家へ帰り、カミサンに事故の有無を聞く。平中神谷に引っ越して来たばかりのころ、「国道」で大きな事故があったという。日中はよそで仕事をしていたから地域の事情にはうとい。どんな事故だったか、新聞の縮刷版で確かめた。その事故だとしたら「むごい」、のひとことに尽きる。

一家6人の乗った乗用車に、対向車線からセンターラインをオーバーして普通トラックが突っ込んで来た。乗用車を運転していた妻と助手席の夫が車内に閉じ込められ、救出されたが死亡した。後部座席にいた4人の子どもも重軽傷を負った。30年前の2月下旬のことだった。

中学校へ入学する次女の制服を注文し、ついでに買い物をして帰る途中、不運にも注意散漫な運転手のミスに巻き込まれた。13~5歳の子どもたちは一瞬にして両親を失った。時間の歩みは誰にでも平等だが、その同じ時間に子どもたちは両親非在の日々を送らねばならなかった。

寂しさと悲しさとで押しつぶれそうになることがあったろう。他人が想像もできないほどの葛藤もあったろう。今も心理的な影響が残っているかもしれない。そんな30年の来し方を思うと、胸が痛くなる。

「神谷の国道」は平の市街地を抜けた先にある。片側2車線の直線道路だ。見通しがいい。それがかえって重大事故を招きやすい。歩行者がはねられて死亡し、車同士がぶつかって死亡する――そんな悲劇が何度も起きている。地元の住民だけをみても大字単位で輪禍の犠牲になった家を調べたら、神谷地区はいわき市内でワーストワンになるのではないか。

30年前の事故がなければ、親はもう70歳前後だ。孫の中学校入学を楽しみに待つような年代だ。せめてここで大きな事故があったことを忘れないようにしよう。そんな思いがわいてくる。あとでまた横断歩道を渡ったとき、胸のなかで手を合わせた。白いカスミソウを添えた黄色いチューリップは父への、同じく赤いガーベラは母への手向けであったか。

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