2009年3月26日木曜日

「冬眠ギター」を引っ張り出す


孫が間もなく2歳になる。日曜日の夕方、親とやって来て少し遊んでいく。よく意味は分からないのだが、発する音声が複雑になってきた。「ナナナ」が翌週には「バナナ」になり、「エンチャ」が「デンチャ(シャ)」になる。夕日に向かって歩いている人間と違って、上り坂にあるいのちとはそういうものなのだろう。

見るもの、触るもの何でもおもちゃになる。ならば、これはどうだ。ケースだけは立派なギター=写真=を2階の「開かずの間」から引っ張り出した。息子たちが家を出てから、使わない部屋が物置に変わった。そこで長い間、冬眠していたのだ。

ギター歴だけは古い。中学1年のとき、近所に独立したばかりの若い大工さんが引っ越してきた。ギターが趣味で、ときどき歌謡曲をつまびいていた。面白がって見ていると、小林旭の「赤い夕日の渡り鳥」を教えてくれた。それが始まり。

阿武隈の山の中から平市(現いわき市)の学校へやって来たあとも、就職して結婚したあとも、ギターはそばにあった。子どもが生まれて小学校に入ったあとも、子どもたちを相手にギターをかき鳴らしていた。が、そのあとはパタリと縁が切れた。

やがて家へ遊びに来た若者に、酔った勢いでギターをくれてやった。それでおしまい――のつもりだったのが、50歳になるかならないかのころ、またジャラーンとやりたくなった。少し値の張るギターを買った。それも一時の高熱だったらしい。ギターはまたまたケースの中で冬眠生活に入った。

還暦も過ぎてギターをやるとなれば、ラストチャンスだ。孫に、こんなおもちゃもあるぞ、というところをみせてやりたい。20日ほど前、ギターをジャラーンとやったら興味を示した。指で弦をなぞると音が出ることを学習した。弦の張りを調整するナットもまねして動かそうとする。何年か先、ギターが欲しいと言って来たら、あげようか――。

さて、そこでだ。弦をかき鳴らす右指の爪を伸ばすか否か。家庭菜園を始めてからは、爪はこまめに切る。土いじりをしていると、どうしても爪と皮膚の間が黒くなる。ギターのために爪を伸ばせば、いよいよ爪の土が取りにくくなる。いちいち楊枝で土をほじくり出さなくても済むようにしたい、となれば、フィンガーピックを買うしかない。

どうしたものか。2ミリほどに伸びた爪を眺めては、逡巡する日が続きそうだ。

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