2009年3月22日日曜日

ハクチョウ、北へ帰る


平塩~中神谷の夏井川で越冬していたハクチョウがほぼ姿を消した。きのう(3月21日)の朝は、中神谷字調練場の砂州に2羽(左の翼をけがして飛べない「左助」と「左吉」)、塩の中州に3羽(うち1羽は右の翼をけがして飛べない「左七」=写真右)がいるだけだった。

「左七」以外の2羽は幼鳥だ。去年残留した「さくら」ではない。「さくら」は飛べるようになっていたから、ほかの仲間と一緒に北へ向かったらしい。

ここ1週間ほどで、潮が引くようにハクチョウの数が減った。まだコハク・オオハクの幼鳥15羽が残っていた春分の日(3月20日)の早朝、夏井川の堤防でハクチョウのえさやりを終えて帰宅途中のMさんと話をした。Mさんは会えば、必ず軽トラを止めて「ハクチョウ情報」を教えてくれる。

「だいぶ減った。えさをやると『左七』と『さくら』は寄って来て食べるが、ほかの幼鳥はあまり食べようとしない。今夜あたりアブナイなぁ」

「アブナイなぁ」とはMさん流の表現で、「飛び去っていなくなるなぁ」という意味だ。飛来組に対するえさやりもこれで終わりか、といったニュアンスが含まれていた。実際、次の日には、残留組の3羽のほかは2羽の幼鳥を残して姿を消した。毎日接しているから分かるのだろう。

今シーズンは秋の10月16日に第一陣が飛来した。平中平窪の夏井川では鳥インフルエンザ対策としてえさやりを中止し、転落防止を兼ねてネットを張った。このネットが裏目に出てハクチョウが1羽首つり状態になったと聞いた。あとで目の細かいネットに張り替えられたのはそのためだろう。

Mさんは「いのちがけ」でえさやりを続けた。小川町三島の「夏井川第三の越冬地」でも近所の人がえさやりを続けたらしい。

残留コハクチョウ4羽のうち、飛べるようになった「さくら」は仲間がやって来ると間もなくそちらの集団に吸収された。残留歴が一番浅い「左七」も川をさかのぼって集団に合流した。「左助」「左吉」も一度は集団に顔をみせたが、すぐまた調練場へ戻った。

北帰行完了を確認して、平窪では白鳥を守る会がテント小屋などを片付けたという。残留コハクチョウがいる限り、Mさんに休みはない。

残留組が一カ所にまとまっていると、えさやりは一回で済むのだが――これがMさんの気持ちでもある。が、「左助」たちには「左助」たちの動きがある。なかでも、最古参で放浪癖のある「左助」にMさんは手を焼いてきた。人間の思い通りにいかないから、よけいに「左助」たちがかわいいのだ。

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