2009年3月12日木曜日

岩城街道・阿久津村


日曜日(3月8日)、郡山市立美術館へ行ったついでに、美術館の北隣に位置する阿久津町をドライブした=写真。美術館はカミサンの運転手として、阿久津町は「曲がりネギ」の産地なので「三春ネギ」を調べている自分の勉強のために。阿久津は阿武隈川の右岸にある。江戸時代は岩城街道の重要な中継地点だった。

岩城街道は、磐城平を中心としたハマと阿武隈高地を経由して中通りを結ぶ経済・文化の道。県教委が昭和60(1985)年に発刊した『歴史の道 岩城街道』には、最初の概観部分に次のような興味深い記述がみられる。

①田村郡の東部と西部では文化流入の経路・態様が異なる②東部の旧小野郷は磐城文化圏③阿武隈川右岸は左岸とは趣の異なる文化がみられる④いわき名物「じゃんがら念仏踊り」の北辺は小野町・羽出庭――など。臨済宗の教えも磐城から小野郷に入った。

佐藤孝徳編著『専称寺史』の史料「古書眼鏡」によれば、江戸時代、今の田村市・田村郡には浄土宗名越派総本山・専称寺(平山崎)の末寺が6寺あった。名越派は間違いなく磐城方面から教線を拡大した。そのつながりを示すエピソードを2つ。

・白水阿弥陀堂の文化が田村東部にも及んでいる=旧専称寺末、小野町の赤沼・無量寺に安置されている阿弥陀三尊は白水阿弥陀堂の三尊と酷似している(『歴史の道 岩城街道』)
・三春町の紫雲寺も旧浄土宗名越派=しかし、専称寺のトップ争いが原因で小野町の専光寺、三春の紫雲寺、郡山の善導寺、高岸寺は一時、専称寺末ではなかった(『専称寺史』)

で、「三春ネギ」である。阿武隈川右岸は大昔から岸に沿う南北のつながりが深かった。阿久津町も北の西田町も、東の三春町とは入り組みながら接している。昔は同じ田村郡、同じつながりの丘陵地だ。「阿久津曲がりネギ」と「三春ネギ」を別個のものと考える方がおかしい。阿久津町の空気を吸って、それを実感した。

ヒト・モノが往来するなかで「阿久津曲がりネギ」も岩城街道を東進した。名前は通りのいい「三春ネギ」に替わったが、中継地点の小野町を経由して川前・小川(夏井川渓谷の牛小川)へたどり着いた。本ルートの方も小野町に隣接する三和町までは届いた――。阿久津町を巡って、そんな「ネギの道」を想定することも可能だと思った。

仮説が証明されるかどうか。今度は川前と三和あたりで、折に触れてネギの話を聞いてみようと思う。

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