2009年11月10日火曜日

たまる激辛トウガラシ


最初は面白半分で苗を買った。激辛トウガラシだ。今年も調子に乗って苗を買い、栽培した。白菜漬けの季節になって、ようやく激辛の出番がきた。

今年も結構な量が採れた。成績が良かったのはいいのだが、使い道がない。白菜漬けの殺菌・彩り・風味付けくらい。マーボー豆腐に使えば辛すぎて唇と舌がヒリヒリする。大根を千切りにして浅漬けの彩りにしたら、大根の方に辛み成分がしみ込んで、やはり唇がヒリヒリした。

乾燥保存をした激辛をキュウリの保存漬けに使う手もある。殺菌対策だが、量が多いとキュウリからしみ出した水分が激辛の辛み成分で満たされるので、古漬けを取り出すたびに手がヒリヒリする。今年はそのキュウリがさっぱりだった。古漬けにするほどの量が採れなかった。

ならば一味はどうか。普通のトウガラシよりは辛みが強いタカノツメでさえピリッとくるのだから、“激辛一味”では燃え上がってしまうに違いない。知人が「タカノツメではなく、リュウノツメだ」と評したが、その通りだ。

一味をつくる過程で涙と鼻水に襲われる。マスクをして、ゴーグルをはめて――。実際、タオルで口と鼻を自衛し、メガネをかけないことには一味はできないのだ。

素手で激辛を刻み(タカノツメでもそうだが)、すりこぎをぐるぐるやっているうちに生理現象が起きる、とする。そのときは手袋が必要だ。さもないと、さわったところが痛くなって、ヒリヒリして飛び上がってしまう。しばらく足をじたばたする破目になる。

まだ畑に激辛トウガラシが残っている=写真。大半は乾燥保存をして、来年、糠床やキュウリの保存漬けに使うようにするしかない。

というわけで、もう激辛トウガラシの栽培はよすことに決めた。調子に乗ってやっても使い道が限られるのでは意味がない。「ほどほど」というところがやっぱりいいのだ。2年かかってそのことが分かった。

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