2009年11月6日金曜日

柿熟す


冬に備える儀式の一つに糠床の“仕事納め”がある。甕に入った糠床の表面にたっぷり食塩を敷き詰め、紙で密封して、翌年の初夏まで台所の隅に置いておく、糠味噌を冬眠させるのに合わせて、白菜漬けを始める。今年も最初の白菜漬けが食卓に上った。白菜漬けは私、糠漬けも趣味を兼ねて主に私がつくる。

柿もぎりも、秋から冬へと意識を切り替える上ではかかせない儀式だ。近所にカミサンの伯父(故人)の家がある。家の裏には甘柿の木が植えられていて、今年は生(な)り年なのか、枝が垂れ下がるほどに実がなった。糠床を寝かせたその日に、甘柿を収穫した。

先日、新聞に「柿の日」の記事が載っていた。正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は10月26日に詠まれた。それで、全国果樹研究連合会カキ部会がその日を「柿の日」と制定したのだという。柿もぎりにはそのことも影響していたようだ。

甘柿の幹はそんなに太くない。したがって梢もそう高くはない。なんとも中途半端な木だ。脚立を持って家の裏に行くと、ムクドリが「ギャッ」と一鳴きして柿の木から飛び立った。木の下は熟柿が落下して中身が飛び散り、足の踏み場に困るほどだ。脚立を立て、柿の幹を支えに爪先立ちをして、手でもぎとれる範囲内で実を収穫した。

手籠にいっぱい=写真=になったところで、手が届かなくなった。半数以上が残った。こんな状態のときにはいつも義父の句が思い出される。「木守(きのもり)の柿残照に燦として」「うれかき(熟れ柿)にからすの来たるこく(刻)たしか」。鳥たちに食べられるのは仕方がないことだ。

やや硬めの柿を食べたら、さっぱりした甘さだった。甘いものはより甘く、辛いものはより辛く――というご時勢。古い甘さでもなく、新しい甘さでもない。と書くと、きっと食べたいという人が出てくる。そのために少しは残しておくとしようか。

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