2009年11月23日月曜日

ヒラタケへまっしぐら


1週間前に、あるところで採りごろのキノコを見た。ヒラタケとナラタケ。すぐ誰かが採った。採った人間まで分かっている。こういうものは早い者勝ち。腹が立っても文句は言えない。

そのとき、自分のシロ(と思っているところ)を思い出した。ヒラタケのなる、大きな倒木がある。そこにも発生しているに違いない。ほんとうは次の日、あるいはその次の日に行ってみればよかったのだが、それができなかった。

きのう(11月22日)、真っ先にそこへ行った。ヒラタケがびっしりなっていた=写真。が、やはり1週間は遅かった。傘に落ち葉が張りついている。それだけで時間がたったことが分かる。半分以上はピークを過ぎていた。「白こぶ病」にかかっているものも少なくなかった。なんとかしっかりしているものを採った。量としては全体の5分の1か。

「ムーミン」の作者、フィンランドのトーベ・ヤンソンに『彫刻家の娘』という自伝的な作品がある。北欧の人たちは、いやロシア、そして欧州全体といってもいいのだが、彼らはキノコが好きでよくキノコ狩りをするらしい。そういう人たちの気持ちを代弁していると思えるのが次の文章だ。

「「キノコ狩りにもやりかたがある。何百年も昔からずっと、キノコは冬の朝食に欠かせない大切な食べものだといってもいい。どのキノコにもあるふしぎな菌糸をたやさないよう、キノコの生える場所を、つぎの世代の人のためにも、とっておかなければならない。夏のあいだに家族の食料を手に入れること、自然をうやまうこと、このふたつは市民の義務だ」

ときどき欲張りになってしまう。菌糸を絶やす前に、そのもととなる胞子を絶やすような仕儀になる。収穫の喜びだけに酔いしれる。山里で暮らす人は、小さいころから生活の場で「市民の義務」を学んできた。問題は、遊びでキノコ狩りに興じるマチの人たちだ。その人たちにヤンソンの言葉を贈りたい。

その「ヒラタケの木」は、菌類にとっては栄養たっぷりの温床だ。いろんな菌類、毒キノコのニガクリタケほかが発生している。あと何年かはさまざまな菌類を養ってくれることだろう。採ったヒラタケの一つを、昼食の味噌汁の具にした。うまかった。残りはゆでて冷凍保存にでもしようと思う。冬の日の食卓のために。

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