2010年6月14日月曜日

ツバメの子


近所の歯医者さんの玄関口にツバメの巣がある。せっせと巣づくりをしていたのが、1カ月余前の大型連休時。それからすぐ卵を産み、温め、雛がかえったのだろう。雛はもう随分大きくなっていた=写真。3羽、いや隠れて見えないが4羽いる。

朝と夕方の散歩時、チラリと見る。朝の6~7時はほとんど雛の姿が見えない。眠っているのか。夕方はしかし、ずらりと顔をそろえる。魚も夕方、活発にジャンプして水上の虫を捕る。虫が飛び回っているので、親ツバメもこの時間が一番忙しそうだ。ツバメも夕方が主餐なのか。

親の姿が見えると、子ツバメはわれ先に声を出して口を開ける。親ツバメはホバリングをしてえさを与える。と、すぐまた虫を捕りに行く。口移しの瞬間を写真にと思うのだが、シャッターを押す間もなく親ツバメはフレームから姿を消す。

ツバメの子の連想で人間の子を思い出した。2人いる孫のうち、下の孫がきょう1歳の誕生日を迎えた。何日か前から「一升餅」の話になり、誕生日が近いことを知った。

上の孫も誕生日前に歩き出して、誕生日には「一升餅」を背負った。その姿を見ただろうか、いや見ていない。まだ現役だったからか。今度は、時間だけはやりくりできる環境にある。孫の親である、わが息子たちが「一升餅」を背負ってふらふら歩きながら転んだように、すってんころりんとなる孫の姿を見たい。

人生の厳しさを体に刻む第一歩だ。転んで泣くといい。いや、転ばず、泣かず――もありうるか。そのときはわざと転ばしてやろうか。「一升餅」では転ぶことがなにより大事なのだから。

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