2011年5月16日月曜日

孫のために


息子がわが家に子どもを連れて来なくなった。孫は4歳と2歳。木造のぼろ家とくれば「低気密住宅」である。あちこちにすきまがあって、外気が入り込む。おまけに猫が戸を開けて出入りする。仮に「屋内退避」になったら、われわれ自身がどこか「高気密住宅」へ避難しなければならない。

4月下旬、上の子の誕生日にケーキを届けた。そのときに2人の孫の顔を見た。それっきりである。なぜこんな目に遭わなければないのか。地震・津波の次に襲ってきた原発事故、これが元凶だ。「3・11」以前のように、ちょくちょく来てジイバアと遊んでいたのが、夢のようだ。もうそんな普通の日は来ないのか。

3月14日も朝、父親に連れられて孫が来た。強い余震があるたびに息子が下の子を、私が上の子を抱いて庭に出る。そのうち父親は用事があって帰宅した。原発事故は深刻度を増していた。そのとき、温かい南風に誘われて庭で孫と遊んでいた。

と、3号機の建屋が炎を発して爆発し、黒煙が空高く立ち昇ったのをテレビが映し出していた。間もなく父親が血相を変えて走り込んで来た。「中に入れて!」。福島第一原発からはおよそ40キロ。とはいえ、すでに12日から大気は放射能で汚染されていた。

私は庭で遊ばせたことを後悔している。孫にすまないことをしてしまったと思っている。その孫のためにしてやれることはなんだろう。原発に関しては、私は今まで全くニュートラルだった。が、もう「脱原発」しかない。その道筋を確かなものにすること以外に孫に報いる方法はない――そう思うようになった。

「さよなら原発 放射能汚染のない平和な未来を求めるパレード!」がきのう(5月15日)午後、平で行われた。平中央公園で集会を開いたあと、目抜き通りをパレードし、いわき駅前で流れ解散をするというので、夫婦で集会をのぞいた=写真

主催したのは「いわきアクション!ママの会」と「NO NUKES MORE HEARTS」(東京)。若い母親たちのパワーが人をつなぎ、共感の輪を広げた。ざっと500人は参加しただろうか。

集会が終わるころ、近所の知り合いの店に行って、居合わせた別の知人も加えてしばらく雑談した。みんな集会に参加した。「原発難民」の体験者だ。いつ逃げたか、どういうルートで逃げたか……。話は尽きない。孫が来なくなった話をすると、「うちもそうだよ」とうなずく。いわきのジイバアは悲しみ、嘆き、怒っている。孫のために、原発にさよなら、を言わなくてはならない。

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