2011年5月24日火曜日
国際NGOの底力
NGOの「シャプラニール=市民による海外協力の会」が3月19日にいわき市入りし、初期の緊急物資支援・炊き出しなどを経て、勿来地区災害ボランティアセンターの立ち上げ・運営に協力してきた。4月19日に発足した小名浜地区災害ボランティアセンターの運営にも、勿来同様、スタッフが入って協力している。
5月22日に勿来地区災害ボラセンの「閉所セレモニー」に、シャプラのスタッフから声がかかり、昼飯を食べに行った話はきのう書いた。
シャプラの副代表理事、事務局長も本部(東京)からやって来た。東京組は副代表理事ら8人。外務省の国際協力局長、「NGOを支援するNGO」の国際協力NGOセンター(JANIC)の事務局長らもいると知って、ちょっと驚く。
シャプラの副代表理事がJANICの代表をしており、外務省国際協力局の民間援助連携室ともかかわりが深いための「同舟」だった。これまでは「海外への支援」だったが、今回は「海外からの支援」の太い回路になる。内か外かはともかく、協働の関係にあるわけだ。
勿来ボラセンで、久之浜まで被災地を見に行くという一行と別れたあと、小名浜地区災害ボラセンに寄り、代表のご機嫌をうかがうことにした。代表は古着リサイクル活動を展開している「ザ・ピープル」の代表でもある。カミサンは「3・11」以後、彼女に会っていない。私は勿来地区災害ボラセンで顔を合わせた。小名浜での立ち上げを模索していたときだろう。
小名浜のセンターに着いたら「来客中」だという。しばらく待っていると、勿来で会った男性が(トイレに?)出てきた。客とはシャプラの副代表ら東京組だった。またまた一緒になって、副代表に請われるままに被災地を案内することにした。
関田須賀、錦須賀、岩間、小浜。これは勿来のセンターがカバーした津波被災地。小名浜のセンターがカバーするのは小名浜、永崎、中ノ作、江名。その北に豊間、薄磯、新舞子、四倉、久之浜が続く。岬―砂浜―岬―砂浜を繰り返す「いわき七浜」は、主に砂浜の背後地に集落が形成された。とりわけ永崎、豊間、薄磯、四倉、久之浜が甚大な被害を受けた。
小名浜から案内を頼むという。アクアマリンを目印にして、海に臨む。海岸線に沿った道路を北上した。豊間と薄磯、久之浜の被災地には初めて入った。胸が詰まる思いがした。
ここに知人の家があるけど壊れて住めない。知人の甥っ子の店があるけど壊れている。コーヒーを飲みに来た喫茶店がない……。そんなことを、私の車に同乗した局長らにつぶやく。つぶやくしかない惨状が続く。
豊間中学校の入り口で、校庭に積まれた瓦礫を、校舎の奥の体育館の壊れ方を見てもらった=写真。この日朝から、PTAは校舎1階の砂出しをしたはずである。破壊された校舎への愛情のあらわれであって、あとは教育委員会がどういう判断をするかわからないが、一つのけじめでもあっただろう。
ほんとうの支援がこれから始まる。有名人がイベント的にボランティア活動を展開する。否定はしない。どんどん来てほしい。が、ほんとうの支援とは個別・具体であるはずだ。生活者の思いをくみ取った支援が必要になる。
この2カ月余のシャプラニールの活動をウオッチングして、さらにJANICの基本方針を知って、あらためてこのNGOと関わってよかったと思った。
それはこういうことである。①地元の社協や行政を尊重する②現地のニーズから出発する③現地の価値観、文化などを尊重する④災害ボラセンにおけるボランティアコーディネートを重視する――。
ほかに留意すべきことが二つくらいはあるようだが、要するに、静かに、しかし注意深く被災者の気持ちに寄り添いながら、現地のボランティアの成長を促すということも含めて支援する。そういうことなのだろうということを、彼らと話していてわかった。
シャプラが今展開している支援策は、地元企業から調達した調理器具セットを、避難所などから仮住まいに移った被災者に提供することだ。そのための現地スタッフ(被災者)も雇用した。仮住まいに入居した被災者が孤立感を深めないようフォローもしていくという。顔の見える支援が続く。
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