2011年5月22日日曜日
湯本へ
先日、わが家にいわき市常磐に住む知り合いの女性2人がやって来た。人生の大先輩だ。お一人が「『ドーン、カタカタ』と山が鳴って家が揺れる」と、顔をしかめる。もうお一人は、主人が地質測量の専門家。家は岩盤の上に立っている。その違いがあるのかもしれない。「ドーン、カタカタ」の犯人は「湯ノ岳断層」だ。
常磐へは、故里見庫男さん(いわき地域学會の初代代表幹事で古滝屋社長)から月に一回招集がかかったので、よく通った。顔見知りも多い。わが家にやって来た知人の話に触発されて、湯本温泉街に出かけた。駅周辺の様子は知り合いのKさんのはがきで承知している。この目で確かめなくては、という思いがうずいていた。
JR湯本駅前。自分の和菓子店で店番をしているKさんに会う。「里見さんが生きていたら……、ほっとけないだろうね」。隣の店は液状化現象に遭って沈下し、シャッターを下ろしたまま。その隣の福島銀行湯本支店は入り口と駐車場が沈下して仮設階段をつくった=写真。Kさんの店の前の歩道には段差ができた。注意しないとつまずいてしまう。
そういえば、湯本温泉街に入ったとたん、車が洗濯板の上を走っているような感覚に襲われた。地下に坑道が張り巡らされていた「炭鉱の町」だったから、今度の大地震でその影響が出たのだろうか。「湯本をよく見ていって」。Kさんが言う。
和菓子店の、もう一つの隣のコンビニに行く。コンビニを外から眺めていたら、店の女性が私を見つけて手を振った。主婦として初めて「サンシャインガイド」に選ばれた人だ。少し話をする。一見、周りの建物はしっかりしているようだが、隣はシャッターに「要注意」の黄色い紙が張ってある。
湯本は、見た目にははっきりしないくらいに、薄く、小さく、広く地震のダメージを受けているのではないか――そんな印象を受けた。とすると、復旧までが大変だ。行政は自力でやれ、と言いかねない。
それはそれとして、ちょうどお昼どき。和菓子店の斜め向かいにある食堂「おかめ」に入った。温泉旅館は今や、原発事故を収めようと奮闘している作業員の“宿舎”だ。その彼らが食事に来る。定食の料金を値下げしてワンコイン(500円)にした、というニュースをテレビで知った。
おかみさんと顔を合わせるや、「いらっしゃい」「ニュース見たよ」。そのあと、地元の男性たちの様子を教えてくれた。「上(天国)から降りてきて指示してくれないかな、って言ってるんだから」。故里見さんのことである。里見さん亡きあとの、湯本の状況が推し量られる。その里見さんの旅館が閉館中なのが気になる。
ワンコインのとんかつ定食を食べたあと、カミサンの友人の実家を訪ねた。屋根にはブルーシートが張られていた。
帰りは、湯の岳の中腹から内郷へ抜けて白水阿弥陀堂を見ることにする。その前に、考古資料館に寄った。23年度最初の企画展「かざりの世界」が開かれている。館長と、考古資料館などを運営しているいわき市教育文化事業団の常務理事に会って、しばらく歓談した。
阿弥陀堂では、どうしても阿弥陀三尊を拝したくなった。拝観料大人一人400円を払い、寺のガイドさんの案内で堂内に入る。
阿弥陀堂はざっと850年前に建てられた。そのころ、末法思想が吹き荒れていた。天変地異もあった。「貞観地震」(西暦869年)のおよそ200年後だ。「千年の単位」で考えれば、それ以来の災厄である。
阿弥陀さまに、この大震災の死者を弔い、非常事態を鎮めてくれるようにお願いした。心の底からそう念じた。
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