2011年5月9日月曜日
豊間の被災者
東日本大震災の大津波で多くの人が亡くなった。その一人、いわき市平豊間の高校生の話が、土曜日(5月7日)のいわき民報に載った。訪問入浴のサービスに入っていた介護福祉士らが大地震に遭遇し、利用者を担架にのせて避難していたところ、高校生の誘導で無事、高台に逃れることができた。高校生はその後、祖母を捜しに行って帰らぬ人となった。
豊間には知人が何人かいる。昨年秋、わが家を訪ねてきた元市職員氏は妻と孫二人を津波で失った。命は助かったが、主人の職場が全壊し、自宅に住めない状態になった知人は、豊間を離れて首都圏で暮らしている。大津波に襲われた翌日、5人の遺体の確認に立ち会ったという。避難所暮らしを余儀なくされたいわき地域学會の仲間もいる。
疑似孫と親がおととい(5月7日)夜、遊びに来た。豊間の話になった。国立病院機構「いわき病院」に勤める知人の話をしたら、疑似孫の父親が病院の前の大工さんを知っているという。
「仲がいい」というその男こそ、私らが消息を知りたかった人間の一人だった。40年来の付き合いだ。壊滅的な被害を受けた豊間の街道=写真=を通るたびに彼の家を眺め、一度は家に行ってみようと旧道を通ったが、通行止めで入れなかった。どこにいるものやらと案じていたのだった。
疑似孫の父親がケータイをかけた。なんとわが家の近く、ヨメサンの実家に避難していた。「すぐ来いよ」。叫ぶように言った。
間もなくやって来て酒盛りになった。お互いに被災当時の話をした。豊間の人間は、下半身が水につかったという。よく助かってくれた。「記録を残さなくては」「話すことはできるが、書くのはタカじいに任せる」。そんな暇はないから、いつかはペンを執らせようと思う。
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