2011年5月20日金曜日
渋滞・アサレン
日曜日(5月15日)に夏井川渓谷の無量庵へ出かけた折、生ごみ容器を持って行くのを忘れた。「3・11」以来、ときどき<心ここにあらず>のような状態になる。日曜日の朝もそうだった。途中まで行ったところで「あんた、生ごみは?」と聞かれ、頭のなかにもやがかかった。初めてだ、畑に埋める生ごみを家に置いてきたのは。
きのう(5月19日)、早朝6時。生ごみ容器を車に積みこみ、無量庵へ出かけた。5月6日から、渓谷の落石現場で応急工事が行われている。日中はそのため、通行止めになる。下流側は小川の高崎が「検問所」だ=写真。工事が始まる前なら自己責任で直行できる。朝一番で出かければ、通行止めになる前に帰って来られるだろう。
行くのに30分。生ごみに水を入れて脱塩するのに40分(普段はもっと長い)。それを埋めて、片づけて、7時20分前後には無量庵を離れた。
ちょうど通勤・通学時間帯である。助手席に中学生だか高校生だかを乗せた車が通り過ぎた。牛小川の人間であることは、先刻承知。作業員を乗せたバンも行く。この時間帯だけ、車が狭い溪谷の道路を盛んに行き来する。
平地の小川町内に出ると、中学生たちが学校へ向かっていた。平・平窪では交通渋滞にはまった。ここではいつも、この時間帯に渋滞する。それを忘れていた。
水田が広がる脇道へと抜け、小川江筋沿いに車を走らせると、平商業高校の生徒と思われる一団が、走りながらやって来た。走りに無駄がない。きれいだ。陸上競技部員かもしれない。
「アサレン」だろう。17歳のころの、夏休み合宿。アサレンがつらかった。走るのがつらい、のではない。その時間に起きなくてはならないのが、つらかった。子どもだったのだ。
さらに進んで、切り通しを越えると平・上神谷に出る。いかにも柔道部員とわかる巨体の持ち主たちが、やはり歩道を走っていた。東日本国際大の猛者たちのアサレンだ。
通勤・通学、渋滞、アサレン……。一度は切り裂かれた日常が、ところによっては曲がりなりにも復活している。そのことを感じた。
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