2011年5月6日金曜日

川前・荻の放射線量


きのう(5月5日)、夏井川渓谷の無量庵へ出かけて畑仕事をした。合間に、必要があって川前の知人に連絡した。すぐ来てくれた。用事がすんだあと、「3・11」以後の話になった。原発事故が今も心に重くのしかかっているという(それは私も同じ)。川前は山間地。平野部の平よりは福島第一原発に近い。市街地の市民とは違った危機感を抱いている。

いわき市は原発事故では「無印」になった。しかし、「緊急時避難準備区域」(福島第一原発から20~30キロ圏内)に入っているところがある。北部の末続、大久。いわきの山間部では小川の戸渡、そして川内村に接する川前の荻=写真、志田名など。いずれもいわき市の行政・経済の中心地である平からはずいぶん遠い。「いわきの辺境」といってもよい。

川前は安全か――知人の不安、いらだち、怒り、孤立感は、30キロ圏内の同じ川前の住民の気持ちだろう。「どうしたものか」と聞かれても、「そうですねえ」としか言いようがない。

住民が自主的に放射性物質の線量計測を始めた。ところによっては、2.88マイクロシーベルトアワーという高い値を計測した。単純計算では、積算線量が年間25ミリシーベルト余になる。飯館村と同じような「計画的避難区域」ではないか、これは。

知人は、支所に言っても聞きおくだけだという。知人のいらだちは募る。なぜ住民本位の仕事ができないのか、住民の気持ちにこたえられないのか。

いわき市は昭和41(1966)年10月1日、14市町村が合併して誕生した。「平成の大合併」のモデルになったといってもよい。

合併のメリットは財政の効率化、デメリットは地域の問題の潜在化。合併前ならば「村の最大課題」だったのが「市の一部の課題」でしかなくなった。

「2.88マイクロシーベルトアワー」は「川前村」であれば大問題だろう。全村避難を検討しなくてはならないような危機感に襲われているはずだ。それが、いわき市の本庁からは見えないために放置されている。危機管理が末端まで行き渡らない。

いわきはハマ・マチ・ヤマの三層構造をなしている。ハマは大津波で壊滅的な打撃を受けた。マチは大地震の被害を受けたものの、ライフラインは回復した。少なくとも日常を取り戻した。ヤマはどうか。ニュースはあるのに、取材に行く記者がいないからニュースにならない。それで本庁にも問題が見えない。

同じ川前でも川と山がある。夏井川のほとりの市川前支所で「0.15マイクロシーベルト」とあっても、双葉郡により近く標高の高い山地の荻、志田名では線量が高い。もっと計測地点を増やさないことには安心は担保されない。片隅からの叫びに本庁は耳を傾けよ、誰か職員をやって実情を把握せよ――と腹立たしくなった。

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