2011年5月30日月曜日
津波で木が茶髪に
いわきの海岸線のうち、夏井川河口をはさんだ新舞子浜には、江戸時代起源の海岸林がある。磐城平藩を治めた内藤の殿様が植林をしたのが始まり。それで、殿様の法名から「道山林(どうざんりん)」と呼ばれている。
この「防潮保安林」が津波被害を軽減したのではないか。ついては、林野庁が検討会を立ち上げ、防災林としての効果を検証する方針を打ちだした――という記事が、10日前(5月20日)のいわき民報に載った。
新舞子浜の近くに住んでいる人、実家がその近くにある人などは、直感的にそう思っているようだ。
新舞子浜では、防風林(海岸林)の先、海側に防波堤がつくられ、防風林の中を海岸道路が貫通し、その内陸側に、海岸線、防風林と並行して夏井川と仁井田川をつなぐ横川が控えている。
「3・11」の大津波は、やはり防波堤を越え、海岸林をなめて、横川になだれ込んだ。防風林南隣の滑津川河口そばの新舞子ハイツは、1階が津波に洗われた。同じく北隣の仁井田川左岸の四倉は、海岸部の町並みが津波に襲われて大きな被害を出した。
新舞子浜の津波の様子はどうだったか。けさ(5月30日)の新聞折り込みに「いわきブランド農産品通信」第47号(市農業振興課編集・発行)が入っていた。河口から1キロ離れたところにイチゴ農家の畑がある。「イチゴが心配で畑に来たが、見ているそばから海水がぐんぐん上がってきて避難するしかなかった」
河口から4キロ以上入り込んだ夏井川そばの住民の話、つまり、わが家の周辺のことである。「川の水が引いて底が見えた。やがて堤防からあふれそうになるまで水が逆流してきた」。幸い、津波が堤防を越えることはなかった。わが行政区(中神谷南区)でも、ほんとうは大津波を警戒して避難すべきだったのかもしれない。
「道山林」がこの内陸部まで救ってくれたと感じたのは、さらに、新舞子に近い人たちの話が伝わってきてからだった。
「道山林」が防波堤になった。そばにある横川が津波の受け皿(プール)になった。それに、市から委託されている住民が横川にある排水ポンプ場の水門を閉めた。で、津波は来たけれども軽微な被害で済んだ。「道山林」と横川がなかったら、わが家の近辺も津波の被害を受けていただろう、という。
藤間中の近く、舞子浜病院や長春館病院、レストラン、養護老人ホーム「徳風園」などをカバーする防風林は一部がすっかり赤茶けている=写真。津波をかぶって塩分を過剰に摂取したために「脱水症状」を起こして枯れたのか。
照葉樹だから、一年中緑に包まれている。それが異常な「紅葉」だ。クロマツも木によっては赤茶けている。花が咲き始めたトベラ、これが生えていたことは知っている。タブノキもあるだろう。あとはとんと樹種がわからない。
照葉樹の「紅葉」はやがて葉を落とすに違いない。それで終わってくれるな。なんとしても芽吹いてくれ――そんな思いがふくらむ。防風林は体を張って人間の命を救ってくれたのだから。
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