2011年5月8日日曜日
川内への道
田村市常葉町の実家への行き帰りに、川内村をよく通る。いわき市平のわが家から夏井川渓谷の無量庵経由では、川前・荻の峠を越え、県道小野富岡線に乗り入れる。するとすぐ川内村だ=写真。
小川の町はずれから二ツ箭山を巻くようにして山中を縫う国道399号も、たまには使う。春の山菜時期、秋のキノコ時期には、なぜだかこのルートが頭に浮かぶ。この沿線で山菜もキノコも採ったことはないのだが。
それから北のルート。山麓線(県道いわき浪江線)を北上して富岡町から川内に入るか、大熊町まで進んで浪江から郡山へとほぼ真西に延びる国道288号を利用するかする。288号は、川内はかすらない。どのルートを選ぶかは、まったく恣意的だ。そのときの気分次第。実家に行こうと思いながら、選ぶ道は全く違う。
それはしかし、「3・11」前のこと。今は、北ルートは立ち入り禁止になった。川内村は、村長以下、村民540人余が郡山市のビッグパレットふくしま内に避難した。仮役場と災害対策本部もそこに置かれた。
川前・荻は、いわきでは飛びぬけて放射性物質が高い。それでも、行政は見ぬふり・聞かぬふりか。そうではあるまい。何とかしたいと思っているはずだ。行政に頼るしかない人間を見捨てる公務員なんているはずがないのだ。とにかく早く住民の気持ちに触れてほしい。
さて、真ん中のルートの国道399号沿い。小川の戸渡(とわだ)を越えると、すぐ「獏原人村」(川内)だ。通称「マサイ村長」が妻のボケさんと鶏を飼って暮らしている。その卵を宅配するため、「村長」が毎週火・金の2回、いわきへ下りてくる。わが家へは金曜日にやって来る。時間があれば、茶飲み話に花が咲く。
大津波による原発事故で、川内村は東側が警戒区域に入り、残りは緊急時避難準備区域に入った。夫妻は一時、茨城県に避難したが、今は村に戻り、放射線検知器を持ってふだん通りの暮らしを続けている。
おととい(5月6日)の金曜日、卵とともに「放射能(核種)検査報告書」のコピーを持ってきた。「獏原人村」の卵を同位体研究所で検査してもらったところ、国の基準500ベクレルを大幅に下回る10ベクレル未満だった、安心して召し上がってください――と、報告書のコピーに赤い字で文章が書き加えられていた。
卵の宅配契約を打ち切った家がある。風評被害を抑えるためには、客観的・科学的データが必要と判断したのだろう。
こうして川内からいわきへやって来る人はいても、いわきから川内へ行く人は、そうはいない。私も、今、実家へ帰るとしたら、夏井川沿い、最短の県道小野四倉線を使う。
それはそれとして、下川内の国道399号沿い、木戸川べりに住む陶芸家の志賀夫妻と愛娘はどうしたろう。どこかに避難したのだろうか。情報が欲しい。
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