2011年5月26日木曜日

広野町湯本支所


わが家の近くのアパートに、緊急時避難準備区域に指定されている双葉郡広野町の若い夫婦が入居した。子どもはまだ小さい。小さいから、原発からの放射性物質を避けて南隣のいわき市に避難して来た。夫は広野の会社に通っている。同じ広野から避難し、四倉にアパートを借りた熟年夫婦がいる。こちらも広野に夫の会社がある。

わが家は、カミサンが米屋(実家)の支店をまかされていて、店頭に「ザ・ピープル」の古着を置いている。このところ古着を手にする人が目立つ。古着を介して、カミサンが広野から来た人たちと知り合った。江戸時代は同じ磐城平藩だったから、歴史的にも広野といわきは一体感がある。話していても違和感はない。

広野からの避難家族にも、カミサンが関係しているシャプラニール(NGO)の生活支援策が口コミで広がるようになった。「いわき市民でなくてもいいのか」「町が発行する入居決定通知書の原本があればOK」。ケータイで情報を伝え合い、シャプラに連絡を取った人もいるようだ。

町の臨時役場ともいうべき「広野町湯本支所」が常磐上湯長谷町釜ノ前5(旧いわき電子)に開設された=写真。湯本温泉街から見ると、スパリゾートハワイアンズの手前、右側にある。そのハワイアンズのホテルが広野町の2次避難所になった。

広野町民は福島高専や、災害時の相互応援協定を結んでいる埼玉県三郷市、あるいは県内外の親類縁者宅などに避難している。2次避難が始まった5月23日には、三郷市からの110人をはじめ、約230人がバスや車でホテルに到着したという(いわき民報)。臨時の町役場が近いことも2次避難所にハワイアンズを選んだ理由のひとつだろう。

ただ、ハワイアンズにいられるのは8月末まで。その間に、いわき市内に仮設住宅が建設される。わが中神谷南区にも市営住宅跡地(借地)がある。仮設の用地としては20~30軒は建てられるくらいの広さだ。区内に「ヒロノ班」ができてもいいのではないか。

さて、近所に越してきた若い母親は、夫が朝早く車で会社に出かけるため、足がない。町役場の「湯本支所」まで日中、出向くのは難しい。いざとなったら車を出してやるかと、カミサンと話している。

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