2011年6月14日火曜日

山里の線量を測る④


【都路】上川内は平伏沼への道が分かれるあたり。県道富岡小野線の道端でモニタリングカーが空間線量を測定していた。川内の集落を抜け、田村市都路町へと国道399号を西に向かう。やはり、モニタリングカーと思われる白い車と出合う。あとはなにやら工事を始める人間の姿を目撃しただけで、人影はない。

「かわうちの湯/いわなの郷」への道路は封鎖されている。「危険 立ち入り禁止」。赤字の立て看がものものしい。そちらは警戒区域の20キロ圏内なのだろう。線量の高い、いわき市川前町・荻の「スーパー林道」(広域基幹林道上高部線)を通ってきたときほどの怖さはないが、少し緊張感が増す。

間もなく都路町古道の集落に入り、やや北を通る国道288号に出る。国道288号は福島第一原発のある双葉町と中通りの郡山市を、ほぼ直線で結ぶ阿武隈越えの「ろっ骨道路」だ。そのまましばらく西進する。古道から岩井沢に入ったところで、線量計を外に出して線量をチェックした。稲作が中止になった田んぼは、むろん乾いたまま。

と、茶色い生きものが車の脇を通りすぎた。犬だろうか。バックミラーで確かめたら、ノウサギだった。夜行性のノウサギが真っ昼間、堂々とえさを探している。このあたりにも人影はない。都路も上川内同様、寂しい自然に戻りつつあるのだろう。最高値は0.862マイクロシーベルト/時。

それから何キロか行って、母親の実家のある岩井沢の西戸に入る。

福島交通の路線バス「常葉経由古道線」の「西戸」バス停は、昔からの雑貨屋「渡辺商店」の真ん前にある。小さいころ、常葉町から母親の実家に遊びに行くと、渡辺商店の前でバスを降りた。建物は新しくなったが、店とバス停の組み合わせは変わらない。

いとこたちと遊んでも、泊まるのは母親の実家ではなかった。そこからだいぶ西に行った山中の一軒家。祖母が一人で住んでいた。電気がないので、夜の明かりはランプだ。部屋の壁に映る自分の影がべらぼうに大きくなる――そのころの記憶が、次から次に浮上する。

渡辺商店でアメやお菓子を買って食べた。夏は低い軒先にツバメが巣をかけた。「ツバメの巣、店の軒先、山里」といった原風景が、この商店で形成された。

50年前がそうだったように、今年もツバメが飛来して巣をつくっていた。いや、50年よりもっと前から、そこに店ができたときから、ずっと毎年、飛来し子育てをしてきたのではないだろうか、この「翼をもった隣人」は。

母親の実家の庭に車を止める。亡くなった従兄の奥さんが室内にいた。常葉町から嫁いできて、もう何十年になるだろう。すっかり岩井沢の住人になった。私を見て、びっくりして飛び出してくる。庭の線量は1.012。高い。「栃木の子どものところに避難してたけど、戻ってきたんだ」。室内は0.292。なるべく外での作業を控えるように言って、別れる。

「外と中の数字がわかって、安心した、はー」。よかった、母親の実家に寄って。

西進を続ける。「北作入口」バス停前で線量を測る。0.856。このバス停の奥に祖母の一軒家があった。裏山は鎌倉岳へと続いている。

鎌倉岳は、常葉から見る姿とまるで違う。わが実家の裏山にある常葉の舘公園からは北東の方角にあって、鷲が翼を広げたような山容だ。ところが、都路の国道288号からは――。山は西北に位置して、「緑のおっぱい」のようにこんもりしている。頂上は乳首だ。そこだけとがっている。荒々しい山と、意外とやわらかな姿と。印象はまるで違う。

祖母の家の跡地に杉が植えられた。その杉林が国道288号から見える=写真。左手奥にあるのが鎌倉岳。家が解体され、杉苗が植えられて何十年になるだろう。何年か前に一度来たことがある。杉林をぐるっと回って、家や畑や田んぼの変わりようを、この目に焼きつけた。今度は道路から写真を撮った。もう来ることもないだろう。

都路町の最後は、常葉町と境をなす峠の「サカイノクキ」。峠の手前で測ったら、1.232。都路町は少し数値が高い。阿武隈高地でも一、二の高さを誇る分水嶺の鎌倉岳と大滝根山が壁になって、「放射能雲」がはね返されたか。それで、都路には重い放射性物質が沈んだために、よそより数値が高いのか。

わが記憶の黄金時代を築いてくれた岩井沢の西戸、北作、サカイノクキよ――と、そのつど立ち止まり、風景と対話しては車を走らせた。

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