2011年10月2日日曜日

砂に埋もれた車


3・11以後、初めていわきの砂浜を歩いた。

平豊間の合磯(かっつぉ)、いや海水浴場でいうと豊間分、あるいはその境あたりか。北に湾曲した先、断崖のてっぺんに塩屋埼灯台が見える。断崖の向こう側・薄磯も、手前・豊間も津波で壊滅的な被害を受けた。防波堤が破壊され、堤防のすぐそばまで密集していた民家が押し流された。

9月30日付小欄に書いた「民具救出作戦」、それが始まる前のちょっとした時間。知人(大工)の家の庭から、道路と病院の駐車場をはさんですぐそこに海が見える。水平線が異常に高い。膨らんで押し寄せてくるのではないか、そんな不安が募る。家並みが消えたのと、地盤が沈下したのとで、そうなったのだろう。

その海を見に行った。一部残っている防波堤の高さに合わせて黒い土嚢が南に、北にびっしり並んでいる。コンクリートの堤防をすぐに――そんな余裕も、計画もない。当座の波よけだ。

防波堤の海側、すぐ近くに波消しブロックが並ぶ。並ぶ? 並んでいたのかもしれない。が、並んでしまったのかもしれない。そんな集まり具合だ。

防波堤の階段からブロックのすき間を縫って砂浜に下りる。貝殻がいっぱい打ち上げられていた。砂浜は黒みがかっていて、狭く小さくなっていた。目の前で波が寄せては引いていく。住民ではないが、住民の気持ちがなんとなくわかる。陸地と海が接近しすぎている。

ざっと30年前、この海岸の南、二ツ島の近くに仲間が集い、海水浴を楽しんだことがある。わが子2人は小学校の低学年だった。2人とも浅い磯で遊んでいた。と、突然、上の子が駆けこんできて下の子がおぼれていることを告げた。見ると、磯で浮いたり沈んだりしている。走って行って引き上げた。さいわい無事だった。

そんなことも起きるくらいに、多くの人が海水浴に来ていた砂浜が、今はどうだ、渚まで歩くと足の裏がやけどしそう、というほどではなかったが、歩けばすぐ海水につかる。

波消しブロックのそば――。白い車が砂に埋まって赤さびていた=写真。引き波で流されたか。渚には漁船と思われる船も埋まっている。とすると、砂の中にすっぽり埋まってしまったものたちもあるのではないか。そう考えると、だんだん気持ちが重くなってくるのだった。

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