2011年10月9日日曜日

新収蔵品展


いわき市立草野心平記念文学館できのう(10月8日)、「新収蔵品展2011」が始まった。午前10時からの内覧会の案内が来たので、出かけた。ボランティアの会のメンバーが草刈り奉仕などをしたあと、学芸員の説明を聞いた=写真

「東日本大震災」でいわき市の沿岸部(ハマ)は大津波に襲われた。内陸部(マチ)は強震に見舞われ、山間部(ヤマ)ではがけ崩れなどが発生した。その激変と、企画展は無関係ではない。

ハマ・マチ・ヤマ――。私はいわきを考えるときの目安としてこの三つを尺度にする。それぞれに自然とのかかわり方が違う、つまり、風土・生活文化が違う。同じいわきかもしれないが、いっしょくたにはできない。ハマの漁業がある。マチの商工業とムラの農業がある。ヤマの林業と農業がある。良くも悪くも多彩、かつ多様なのがいわきの特性だ。

マチの中心地、平・本町通りのナカノ洋品店が3・11に被災し、その後、解体されて更地になった。平七夕まつりでは、そこに双葉郡の町村のテント村が立った。戦国時代の岩城公以来の、現いわきと双葉郡のきずなを再確認したようなもので、違和感はなかった。

ナカノ洋品店は大正・相和初期、いわきの文学サロンだった。旧制中学生の草野心平(1903~88年)も小川からの通学のかたわら出入りしていた。

中野家当主の父親は詩人の中野勇雄(1905~71年)。叔父の大次郎(1908~34年)も詩人だ。中野家には勇雄の詩集その他、大次郎の旧制水戸高校時代のノート、東京帝国大学時代の日記その他、相当数の資料が保管されていた。

それらの資料2500点を当主がいわき市教委に寄贈した。「新収蔵品」展はその資料が主体になっている。勇雄たちの手書きの回覧雑誌「すやき」、大次郎のノート・日記。そして、中野家が所蔵していた高瀬勝男の一連の仏画――。大正ロマン・昭和モダンの時代を探索するうえでゾクゾクするような資料が展示された。

ほかに、寄贈された四倉町出身の詩人上田令人(1912~88年)の資料、心平と親しく付き合っていたフランス文学者で詩人の渋沢孝輔(1930~98年)の資料も展示されている。戦時中の心平の心情を伝える資料、たとえば中国で発行された詩誌「亜細亜」創刊号、国威発揚の戦争詩集もある。避けては通れない課題にちゃんと対応した。

未発表資料が多い。研究者には興味深い企画展だ。

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