2011年10月22日土曜日

本との別れ


庭の一角に一間半四方の離れがある。畳に換算すれば4畳半だ。方丈(5畳半)よりは一回り小さい。老朽化が進み、南西の角にすきまができた。いつのまにやら野良猫が出入りするようになった。若いころは書斎兼昼寝、あるいは独酌の場だった。解体するしか手がない。

前は整然と本箱に本が並んでいたが、東京から帰った息子が母屋の2階を占拠する段になって、私の本をどんどん離れに持ち込んだ。どこに何があるかわからなくなった。ドアを開けるとほんの少ししかスペースがない。変に触ると本がなだれを打って落ちる。十年以上もそんな状態が続いている。こんどの大地震で中がさらにごちゃごちゃになった。

解体するためにカミサンが動き出した。毎日、離れから母屋の縁側に本を持ち出してくる=写真。「要る本、要らない本をよりわけて!」。こちらはすべて「要る」と思っているが、それでは前に進まない。単に楽しみとして読んできた本がある。いわきを知るために取っておいた本や資料がある。

まず詩集、阪神淡路大震災関連本、いわきの出版物などがドンと並んだ。それらは残す。一般の文学関係、江戸関係の本、専門書などは思い切って処分する。いつか読むに違いないと、買って“積ん読”したままの本がかなりある。

これからの時間を考えると――。本に囲まれた生活は理想だが、本を眺めて暮らすわけにはいかない。やることがいろいろある。本のために割ける時間はそうないのだ。

つい思い出にふける。ぱらぱらやる。十代の終わりに読んで感銘を受けた本、たとえばポール・ニザンの『アデン・アラビア』は、青春の記念碑として手元に置く。『岩波講座 文学』(全12巻)は処分する。こちらは買っただけに終わった。宮沢賢治に関するあまたの本は疑似孫が大きくなったら譲ろう。

というわけで、ここしばらくは「本との別れ」を繰り返すことになりそうだ。

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