2011年10月13日木曜日

54年前の雨の記憶


小学校3年生か、4年生だった。

アメリカ、ソ連、イギリスが大気圏内で核実験を続け、日本にもめぐりめぐって「死の灰」が降った。「雨には当たらないように」と先生に言われ、親からも言われたような記憶がある。

ところが、その雨に当たってかけっこをしているうちに頭が痛くなってきた。「放射能のせい?」。幼稚な頭で本気になって悩んだことがある。

半世紀も前の、道路がまだ子どもの遊び場だった時代。東西に延びる一筋町が大火事になったあと、家並みの南側に、幹線道路に並行して新しい道路ができた。そこを通る車はほとんどない。子どもたちは道路で鬼ごっこをやり、相撲を取り、かくれんぼをした。かけっこのコースにもなった。

上級生が号令をかけたのだと思う。下級生が勢ぞろいし、学年ごとに「よーい、ドン」をした。そのうち小雨が降ってきた。何回かかけっこを繰り返しているうちに酸欠状態になったのだろう、少しずつ頭が痛くなってきた。帰宅して畳の上に横になった。

記憶を整理するためにいわき総合図書館へ行って、当時の新聞(縮刷版)をチェックした。小3のときだとしたら、昭和32(1957)年だ。梅雨の前という見当をつけて朝日新聞をめくったら、あった。

イギリスがクリスマス島で水爆実験(5月16日付)、アメリカがネバダで核実験(5月29日付)、イギリスが再び水爆実験(6月1日付)=写真。「早くも東京の雨に…/クリスマス島実験の放射能」(6月11日付)という記事もあった。

「セシウム137 人体や植物から検出」(6月18日付)「子孫に伝わる放射能害」(6月26日付)。ストロンチウム90、あるいはセシウム137などという名前は、そのころ一度しっかり胸に刻まれたのだ。今の子どもたちもそうに違いない。

昭和30年代に空から降って来た放射性物質でいまだに残っているものもあるだろう。半減期の長い放射性物質は半世紀という時間など物ともしない。

核実験が生んだ映画「ゴジラ」は昭和29(1954)年が第1作。第2作の「ゴジラの逆襲」(昭和30年)もずいぶん遅れて田舎の映画館にやって来た。見たのはやはり、そのころだった。怖かった。

3・11に伴う原発事故の、それこそ人類初と言ってもいい災厄が、子どものころの不安と恐怖をよみがえらせた。この災厄は東電と国がもたらした。そのことを、ゴジラになって胸に刻み直す。

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