2011年10月23日日曜日

本との再会


きのうとは逆の話です。その本は、刊行物は確かにある。あるのはわかっているが、すぐには出てこない。どこかにまぎれこんでいる。たぶん離れだと見当はつけても、本が乱雑に積み上げられてある。足の踏み場もない。

今すぐ調べたい、読んで確かめたい。が、探しだすまで時間がかかる。その手間暇を考えれば、文庫本ていどなら買いに行った方が早い。店頭にないいわき関係の資料なら、いわき総合図書館の郷土資料コーナーへかけつければよい。このところ、そんなことを繰り返している。

たとえば、いわき地域学會の会報「潮流」第6報(高木誠一没後30年特集号=昭和60年)、広沢栄太郎著『シベリヤ抑留記 ある捕虜の記録』(昭和48年)。常磐湯本温泉の古滝屋が発行していた「かわら版」、いわきの総合雑誌「6号線」「うえいぶ」、同人誌「詩季」など。それらが離れからごそっと出てきた。

新書の『神戸発阪神大震災以後』『中学生大震災作文集』『阪神大震災を詠む』、堀川正美詩集『枯れる瑠璃玉』などとも久しぶりに“再会”した=写真

とりわけ『枯れる瑠璃玉』だ。鮎川信夫、田村隆一ら「荒地」派とは異なった、新しい言葉群に引かれ、しばらくその世界をさまよった。40年前のことだ。以来、「瑠璃玉」という植物が気になっていたが、それがルリタマアザミだと知ったのは、たしか去年の夏。

今度の大震災を機に廃業した輸入雑貨店「オルドナンス」に飾ってあった。径3~4センチほどの青紫色の涼しげな花だ。そのとき初めて、『枯れる瑠璃玉』の表紙の絵と現物が一致した。「枯れる瑠璃玉」とはつまり、ルリタマアザミのドライフラワーだったのだ。

離れから同時に出現した思潮社の現代詩文庫『堀川正美詩集』をぱらぱらやる。金井美恵子の最初のエッセー集の題名にもなった、有名な詩句がある。<明日があるとおもえなければ/子供ら夜になっても遊びつづけろ!>(「経験」)。この「夜になっても遊びつづけろ」なんてことばを真に受けていたときもあった。

阪神淡路大震災からわずか16年余。浜通りは東日本大震災とそれに伴う原発事故に襲われた。昭和55(1980)年、当時の朝日新聞いわき支局長氏から献本の栄に浴した同支局編『原発の現場――東電福島第一原発とその周辺』(朝日ソノラマ)も出てきた。阪神淡路大震災関連の本と合わせて読み直さなければ、と思っている。
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10月19日付「瓦が割れていた」にコメントを寄せてくださった匿名さん、ありがとうございます。背中を押してもらった思いです。その通りにします。

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