2008年5月12日月曜日

吉野せいと夏井川渓谷


『洟をたらした神』で田村俊子賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した作家、吉野せい(1899―1977年)に『暮鳥と混沌』(1971年歴程社刊、のち彌生書房刊)がある。暮鳥は詩人山村暮鳥、混沌はせいの夫で詩人の三野混沌。2人の交友を、書簡などを通して描いた、せい最初の単行本(評伝)だ。

せいが、農業のかたわら考古・歴史を研究していた八代義定とともに、いわきの山里を訪ねたくだりがある。せいは20歳を過ぎたころ、八代の自宅(現いわき市鹿島町)の書斎「静観室」に通い、思想書や哲学書、文学書を読みあさった。八代はそんなせいを連れて、よく貝塚や土器の発掘に立ちあわせたという。

「ある日は川前まで遠征して、帰途は人影もない夏井の渓流沿いに小川村まで歩いたこともある。水は海しかみていない私は、渓谷の美しさを、水の清らかさをはじめて見た」

そんな折、せいは八代の引き合わせで、「静観室」でやがて夫となる三野混沌と出会う。『暮鳥と混沌』ではそうなるのだが、今日はせいと渓谷の話だ。

せいと混沌が出会うのは大正9(1920)年。八代は同年、福島県史跡名勝天然記念物調査委員会委員史跡担当となる。それであちこち動き回り、ときにせいを調査に連れて行くこともあった。だから、せいが夏井川渓谷=写真=を初めて目にしたのはその年、21歳のころだったろう。なぜかといえば、翌年には混沌と結婚しているからだ。

88年前の夏井川渓谷の様子が、渓谷を見たせいの感動が、わずか70字余りのなかに凝縮されている。「人影もない夏井の渓流沿い」の道は明治以降に整備された「磐城街道」(現県道小野・四倉線)で、今もふだんは人影がない。当然、そのころは未舗装だったと思われる。

「海の乙女」が瞠目した「渓谷の美しさ、水の清らかさ」は、今はどうか。松食い虫がはびこって渓谷の赤松はあらかた枯れた。上流からのごみが岸辺を覆っている。水量も減った。小野町に首都圏のごみ焼却灰を埋め立てる最終処分場ができてからは、とても清らかだとは言えなくなった。

それでも夏井川渓谷は、わが心の洗濯場に変わりはない。そして、渓谷の上流、川前の住民有志が数年前から渓谷の美化活動に取り組んでいる。これも心に新しく熾(おき)をもたらした。

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