2008年5月16日金曜日

夏井川河口に「滝」ができた


先日、夏井川の左岸堤防の道を車で河口まで行った。堤防は、最後は90度左に曲がって横川の堤防となる。横川はその先、仁井田浦で仁井田川の河口とつながっている。横川は、河口と河口を海岸と並行してつないでいることから、そう呼ばれるようになった。

曲がるとすぐ、横川に変なものがかかっていた。石でできた堰堤、とでも言おうか。横川の、あるいは夏井川の水の流れを遮る「ダム」らしい。夏井川は河口が閉塞しやすい。そうならないように夏井川と横川を、石を積んだ堰堤で遮断しようと河川管理者は考えたわけだ。

で、その効果はあったのか。先日見たときには、河口は細いながらも海とつながっていた。

きのう15日に行ったら、どうだ。石積みの堰堤から水が激しく音を立てながらオーバーフローをしていた=写真。滝が連続する渓流の早瀬と同じように白く泡立ちながら、である。どちらへ? 横川へ行かないように堰堤をつくったはずの、横川へ。見ると、河口は砂でふさがっていた。それで休みなくやって来る水の行き場がなくなって、石の堰堤を越えて横川へ流れ込んでいた、というわけだ。

大正2(1913)年に脱稿、同11年に刊行された『石城郡誌』に、夏井川河口の様子としてこうある。「時に奇と称すべきは旱天(かんてん)の水害なり盖(がい)老魃(ばつ)逆を逞(たくまし)ふするに方(あた)り、川水漸(ようや)く涸(か)れ其(そ)の勢ひ海沙(かいさ)を排寡(はいか)する能(あた)はず。河口塞(ふさ)がつて通せず、…」。1世紀近く前も河口閉塞問題には頭を悩まされていたのが分かる。

かといって、今の河口閉塞問題が自然現象だとはとらえたくない。ダムが上流に建設された。人工の海水浴場ができた。その他もろもろの要因が、この100年近い間に積み重なった(のではないか)。

夏井川を管理する行政の知識と知恵は、そうした歴史的変遷を踏まえたものなのかどうか。第一、石だろうがなんだろうが、川をせき止めることは川の生物の通路を遮断することになるが、それについてはどう考えたのか。

つまりはイマジネーションの問題。もっと言えば、生物学的河川工学とでもいうべきものが大切なはずだが、そうはなっていないのではないか。毎日、夏井川を見て過ごしている人間には、そうした疑問が膨らむばかりである。

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